茅ヶ崎杉山神社|横浜市都筑区茅ヶ崎中央の神社

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茅ヶ崎杉山神社|延喜式神名帳所載の武蔵国都筑郡杉山社の論社

茅ヶ崎杉山神社の概要

茅ヶ崎杉山神社は、横浜市都筑区茅ヶ崎中央にある神社です。茅ヶ崎杉山神社は、延喜式神名帳所載の武蔵国都筑郡杉山社ではないかと考えられている論社の一つです。明治43年無格社神明社外二社を合併、大正九年九月神饌幣帛料供進社となったといいます。

茅ヶ崎杉山神社
茅ヶ崎杉山神社の概要
社号 杉山神社
祭神 五十猛命
相殿 -
境内社 -
住所 横浜市都筑区茅ヶ崎中央57
祭日 10月13日
備考 -



茅ヶ崎杉山神社の由緒

茅ヶ崎杉山神社は、延喜式神名帳所載の武蔵国都筑郡杉山社ではないかと考えられている論社の一つです。明治43年無格社神明社外二社を合併、大正九年九月神饌幣帛料供進社となったといいます。

新編武蔵風土記稿による茅ヶ崎杉山神社の由緒

(茅ヶ崎村)
杉山社
見捨地、二畝歩、村の西北の隅にあり、これ【神名帳】にのせたる神社なりと云、或は傳ふ左にはあらず、【神名帳】に載たるは、郡中吉田村に坐す杉山社これなりと、されど當社の方證跡多きに似たれば、恐らくは當社こそ昔の式社なるべけれ、【神名帳】に當国小社の内に、都筑郡杉山神社とあり、又【續日本後記】承和五年二月庚戌の條に、當社靈験あるを以、官幣に預りしことをのす、又同書嘉祥元年五月庚辰の條に、武蔵國无位杉山名神に従五位下を授け奉られしこと見ゆ、これによれば、神田もありしなるべけれど、それらの傳も皆うしなへり、かかる古社なれど、中古よりおとろへはてて今はわづかに存するのみ、ここに鍵取とてこの社の鍵をあづかれる助之丞と云ものあり、今は北村を氏とす、かれが遠祖は杉山氏なり、その所蔵の系圖もあり、又家に傳へしと云記録あり、その略に云、安房國安房郡安房神社の神主天日鷲命の孫由布津主命の二十二代の孫、忌部の勝麻呂人皇四十代天武天皇御宇白鳳三年秋九月、神託によりて武蔵國杉山の地に、太祖高御座巣日太神・天日和志命・由布津主命三柱の神をまつり、杉山神社と號すと云々、また鍵預助之丞が傳へには、日本武尊を祀るとも云り。
神體は銅のごとき金にて作る、鏡のかたちしたるものにて、中へ不動の像を鋳つけたるなり、圓径三寸六分ほど、八幡神明の二座を合殿とす、本社二間四方、拝殿二間に三間半、前に石階ありて、下に鳥居をたつ、ふるき棟札二枚存せり、その一は面に甲午奉造立杉山大明神砌天文三年九月十六日としるし、裏面の文字は磨滅してよむべからず、ただ以悦衆生故長澤新左衛門尉源六、大工直近丹六郎太郎四郎などの數字わづかによむべし、又一枚は奉建杉山大明神御鳥居一間事大旦那領主深澤備後守、同代官下山新介、禰宜藤原朝臣金子惣右衛門尉秀長、大工原太郎兵衛勝正、天正四年丙子十一月廿二日とあり、これによれば昔は禰宜もありしことしらる、近き頃まで神主玄蕃とて當社のことをうけたまはりしが、後その子孫百姓となりて今も社の鍵を預れり、前に見えたる鍵取助之丞是なり、別當は村内自性院なり、例祭は年々十一月五日にて、橘樹郡平村の禰宜来りてそのことにあづかれり。 (新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌による茅ヶ崎杉山神社の由緒

白鳳三年(六七五)九月勧請せられ、延喜式内武蔵国都筑郡の一座なりと伝えられる。寛文十一年社殿を造営、明治四十三年無格社神明社外二社を合併、大正九年九月神饌幣帛料供進社に列せられた。(神奈川県神社誌より)


茅ヶ崎杉山神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿