安房神社|館山市大神宮の神社

猫の足あとによる千葉県寺社案内

安房神社|安房国一宮、安房国開拓に際して創祀

安房神社の概要

安房神社は、館山市大神宮にある神社です。安房神社は、神武天皇の命により天富命が阿波国の忌部氏を率いて安房国を開拓しに来た際、自らの祖先天太玉命と天比理刀咩命を祀るために建てたのが安房神社の起源とされ、天富命は下の宮に祀られています。安房神社は、旧社地から養老元年(717)に吾谷山の麓にあたる当地に遷座、平安時代初期より神階を授けられ、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳には「名神大社」として記載される古社です。源頼朝より本領安堵下文を受けた他、江戸幕府からも社領30石の御朱印状を受領、明治維新後の明治4年には官幣大社に列していました。

安房神社
安房神社の概要
社号 安房神社
祭神 天太玉命
相殿 天比理刀咩命
境内社 琴平神社、五座神社、菅原神社、子安神社、八雲神社、日枝神社、稲荷神社、嚴島神社、八幡神社
例祭日 置炭神事1月14日、粥占神事1月15日、例祭8月10日など
住所 館山市大神宮589
備考 旧官幣大社、延喜式神名帳名神大社



安房神社の由緒

安房神社は、神武天皇の命により天富命が阿波国の忌部氏を率いて安房国を開拓しに来た際、自らの祖先天太玉命と天比理刀咩命を祀るために建てたのが安房神社の起源とされ、天富命は下の宮に祀られています。安房神社は、旧社地から養老元年(717)に吾谷山の麓にあたる当地に遷座、平安時代初期より神階を授けられ、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳には「名神大社」として記載される古社です。源頼朝より本領安堵下文を受けた他、江戸幕府からも社領30石の御朱印状を受領、明治維新後の明治4年には官幣大社に列していました。

境内掲示による安房神社の由緒

房総半島の南端神戸郷に鎮り坐す旧官幣大社安房神社は、天太玉命を主祭神に天比理刀咩を配祀として奉斎し、摂社下の宮には天富命を祀る。
延喜の制には大社に列せられ、名神祭に預る安房国唯一の由緒深き名社である。本社の祭神天玉太命は中臣氏の祖神天児屋根命と相並んで天照皇大神の側近に奉仕し祭祀を司どられた重要な神に坐します。
天照皇大神が天石窟に御幽居あらせられた時には、天太玉命は天児屋根命と共に大神の出御を祷り遂に再び大御神の天日の如き御威徳を仰ぎ奉られたのである。
安房開拓の神として当社の下の宮に祀らるゝ天富命は、天太玉命の御孫にあたらせられる。天富命は四国の阿波国忌部族の一部を割いて関東地方に大移動を起し、最初に占拠されたのが房総半島の南端、即ち現在の安房神社の鎮座地であって茲に本拠を定めて祖神天太玉命の社を立てた後、次第に内地の方に進みこの半島に麻穀を播殖しその産業地域を拡められたのである
安房神社の御祭神は日本産業の総祖神として崇められ更に現在では家内安全、交通安全守護神、厄除開運等、関東地方随一の神社として信仰が厚い。(境内掲示より)

「安房神社案内図」掲示による安房神社の由緒

安房神社の創始は、今から2670年以上の昔、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられている。
神武天皇の命により天富命(あめのとみのみこと)が阿波国の忌部氏を率いて安房国を開拓しに来た際、自分の祖先である天太玉命(あめのふとだまのみこと)と天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)を祀るために建てたのが安房神社の起源とされる。
安房神社は、旧社地から養老元年(717年)に吾谷山(あづちやま)の麓である現在の場所に遷座なされた。
安房神社の祭神は伊勢神宮にも祀られていることから、本殿は伊勢神宮と同じ神明造である。安房国一之宮で「安房坐(あわにいます)神社」とも呼ばれ、明治時代には官幣大社に列せられ国家の保護を受けるなど、今も昔も安房において非常に神徳の篤い神社である。(「安房神社案内図」掲示より)

「千葉県神社名鑑」掲示による安房神社の由緒

神武天皇の御代、孫神天富命が沃壌を求めて阿波の忌部氏を分ち率いてこの地に住み、麻穀を蕃殖せしめた。よって忌部氏貫住の所を安房郡と名づけ、その鎮護神として太玉命社を建て、のち安房社と称した。延喜の制名神大社に列し官幣に預った。平安朝以降安房の国の一の宮として、その一甚だ重く、領主里見氏をはじめ、江戸幕府もそれぞれ三〇石を安堵した。明治四年官幣大社に列せられた。(「千葉県神社名鑑」より)

「稿本千葉縣史」による安房神社の由緒

官幣大社
安房神社
安房郡(舊安房郡)神戸村大字太神宮字宮谷に在り、境内九百六十九坪、天太玉命を祀る、亦斎部五部神は天日鷲命。天神立命・大宮賣命。豊磐窓命。櫛磐窓命なり。古史を按ずるに、神武天皇紀元元年天富阿波の斎部を率ゐて此の土に来り。其の父太玉命の社を創建し給ふ、本社即ち是なり。其の後景行天皇上總國浮島宮に行幸あり、磐鹿六雁命堅魚・白蛤を得て献ず、この時本社太神を御食都神と爲す。承和三年七月始めて從五位下を授けられ圭田八町を進めて社用に充つ。同九年十月正五位下、仁壽元年八月從三位、貞観元年正月正三位を加へられ、圭田四十町封戸百三十戸を進む。延喜の時名神大社たり、治承四年九月源賴朝本領安堵の下文を附す。弘安四年勅して蒙古退治を祈願せしめ勲一等を授けらる。興國四年神宣に依り下之宮を本宮に合祀す。文安二年里見義實入國の際神領を沒収す。明應八年六月大震あり宮殿悉く覆倒す。文龜三年領主里見成義先例の規距を減じて本殿及び瑞垣を造營す。天文五年里見義弘社領大破を修繕し神領の十分一を復す、當時社領に屬するもの三十石二斗二升なり。寛永十三年徳川家光舊規に依り朱印地三十石餘を寄附し永世違ふことなからしむ。明治四年五月官幣大社に列せらる。
本殿建坪六坪檜皮葺、中殿建坪二坪板葺、拝殿建坪十五坪茅葺、境内末社九座あり琴平神社。五座神社・菅原神社・子安神社・八雲神社・日枝神社・稲荷神社・嚴島神社・八幡神社是なり。
祭典中、例祭、祈年祭、新嘗祭の三大祭には地方長官を幣帛供進使として奉幣せしめらる。其の他小祭には神田祭・置炭神事・粥占神事・早苗振神事・神狩神事・月次祭式等あり。神狩神事は往古天富命神民愛撫のため田獵し給ひし舊例を傳へたるものにて最も嚴粛なる祭典とす。本社什寶に天富命の用ひたまひしと傳ふる木椀・木臺及び自製の燧篋・神劔・神璧・古印・古文書等あり。(「稿本千葉縣史」より)


安房神社の周辺図


参考資料

  • 「千葉県神社名鑑」
  • 「千葉県神社名鑑」