鹿島玉川神社|青梅市長淵の神社

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鹿島玉川神社|武蔵介源経基が承平年間に常陸国鹿島神宮を勧請して創建

鹿島玉川神社の概要

鹿島玉川神社は、青梅市長淵にある神社です。鹿島玉川神社は、武蔵介源経基が承平年間(931-937)に常陸国鹿島神宮を勧請して創建、長淵村の鎮守社だったといいます。慶安2年(1649)には徳川家光より社領2石8斗の御朱印状を拝領、承応2年(1653)玉川上水開削に際して玉川大明神を祀ったといいます。

鹿島玉川神社
鹿島玉川神社の概要
社号 鹿島玉川神社
祭神 建御雷之男神、大名牟遅神、伊豆能売神、豊玉毘売神
別殿 -
境内社 八雲神社、蚕祖神社、天祖神社、菅原神社、八幡神社、住吉神社、熊野神社、春日神社、多賀神社、厳島神社、疱瘡神社、稲荷神社、稲荷神社、(境外社)愛宕神社
住所 青梅市長淵2-519
祭日 9月19日
備考 -



鹿島玉川神社の由緒

鹿島玉川神社は、武蔵介源経基が承平年間(931-937)に常陸国鹿島神宮を勧請して創建、長淵村の鎮守社だったといいます。慶安2年(1649)には徳川家光より社領2石8斗の御朱印状を拝領、承応2年(1653)玉川上水開削に際して玉川大明神を祀ったといいます。

新編武蔵風土記稿による鹿島玉川神社の由緒

(長淵村)鹿島社
下村の西にあり、小社にて、覆屋あり、二間に三間、北向なり、鎮座の年代詳ならず、それの年代御朱印を附せられ、社領二石八斗の地を賜ふ、例祭年々九月十九日、入間郡北野村神職栗原左衛門社事を司どれり、村の鎮守なり。
末社。牛頭天王社。小社にて本社の傍にあり。
岩石。本社の右の方にあり高一丈餘、周圍は六抱ほど、名もなき石なれども、その状奇なり。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による鹿島玉川神社の由緒

古老の伝に承平年間(九三一-三八)武蔵介源経基が仁国の時、常陸国鹿島神宮の神威仰慕のあまり、国家鎮護のため一社を造営せんとして、当長淵の里の上古より神霊の降坐処と称し、里人が敬畏していた巨大な神石を清浄地として選び、大神を祀って鹿島大明神と称した。元和年間(一六一五-二四)修復、慶安二年(一六四九)十月、徳川幕府二石八斗の地を賜い御朱印地とした。相殿玉川大神は神官伯耆守信久の氏神であった。幕府より承応二年(一六五三)玉川上水開削の時、飲用者の無病健全を願い、浄水清浄祈願永代勤仕すべき旨を命ぜられ、毎年正、三、六、九の四時祭事を行ない、三年に一度神符を献上した。文化二年(一八〇五)二月、奉行の允許を得て江戸深川八幡境内において、江戸市民に神霊の拝受の儀を行ったことが数回ある。その後、文久元年(一八六一)覆舎、幣殿を修復、明治十一年鹿島玉川神社と改め、同二十二年拝殿を再建現在に至り、大正九年、調布村より二町歩の山林寄進があった。(東京都神社名鑑より)

「青梅市史」による鹿島玉川神社の由緒

鹿島玉川神社
長調(現・長淵二丁目)に鎮座する。祭神は建御雷之男神、大名牟遅神、伊豆能売神、豊玉昆売神で例祭は九月十九日である。創建は不明であるが、伝えによると承平年間(九三一~九三七)、源経基が武蔵介に任ぜられたとき、国家鎮護のため、常陸国鹿島神宮の分霊を巨大な神石のあるところを清地として当地に祀り、鹿島大明神と称したと伝える。
元和年間(一六一五~一六二三)に社殿の修復。慶安二年(一六四九)十月、徳川幕府より二石八斗の朱印地を受領した。相殿玉川大明神は承応二年(一六五三)玉川上水開削のとき、無病息災を祈願し、三年に一度神符を献上した。その後文久元年(一八六一)、覆合、幣殿を修復し、明治五年に村社に列格、同十一年、鹿島玉川神社と社名を改称した。
境内は市史跡、鹿の舞は市の無形民俗文化財に指定されている。境内面積は八二八坪(三七三二平方㍍)である。(「青梅市史」より)


鹿島玉川神社所蔵の文化財

  • 鹿島玉川神社(市指定史跡)
  • 鹿島玉川神社本殿(東京都指定有形文化財)
  • 鹿舞(市指定民俗文化財)

鹿島玉川神社

祭神に武甕槌命、相殿に豊玉姫命ほか三神を祭る。
口伝によれば、承平年間、源経基が常陸の鹿島大神の分霊を移して鹿島大明神としたという。相殿玉川大明神は江戸への玉川上水開通に当たり、その無病安全を祈念したという。その神事場は、かつて下奥多摩橋の南岸にあった。
また、当社に伝承されている鹿舞は元和六年(一六二〇)に演じられたのが起源といわれ、市の無形民俗文化財に指定されている。(青梅市教育委員会掲示より)

鹿島玉川神社本殿

鹿島玉川神社本殿は、かつては鹿島社と呼ばれ、承平年間(九三一-九三八)の創建と伝えられますが、建築様式などから、実際は元和六年(一六二〇)に建てられたと推察されます。のち元禄二年(一六八九)に修理されますが、建築当初の形式を大きく変えるものではなく、旧状がよく保たれています。
社殿は、石積基壇上の礎石に土台を置き、丸柱を立て、床は浜床と五級木階で高く組み、三方に高欄付の縁を廻します。内陣は、正面に開戸がつく他は板壁で囲われた閉鎖的な空間です。屋根の目板打の流し板葺の形式が特徴的で、都内でも数少ない作例の一つです。
近世初頭における神社本殿の建築様式を知る上で貴重です。(東京都教育委員会掲示より)

鹿島玉川神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 青梅市史