内藤神社|国分寺市日吉町の神社

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内藤神社|内藤新田が開発された享保19年に日吉山王宮を勧請

内藤神社の概要

内藤神社は、国分寺市日吉町にある神社です。内藤神社は、内藤新田が開発された享保19年(1734)に近江日吉山王宮を勧請して創建、明治2年内藤神社と改称したといいます。

内藤神社
内藤神社の概要
社号 内藤神社
祭神 大山咋命
相殿 -
境内社 -
住所 国分寺市日吉町4-11-14
祭日 -
備考 内藤新田鎮守



内藤神社の由緒

内藤神社は、内藤新田が開発された享保19年(1734)に近江日吉山王宮を勧請して創建、明治2年内藤神社と改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による内藤神社の由緒

(内藤新田)
山王社
社地除、一畑十歩、字窪にあり、覆屋三間四方、内に小社を置、神體白幣なり、華表兩柱の間九尺、村の鎮守にして村民の持なり。
稲荷社。天王社。山神社
皆小祠なり、本社の左右にあり(新編武蔵風土記稿より)

北多摩神社誌による内藤神社の由緒

享保十九年三月近江日吉山王宮を勧請し、明治二年内藤神社と改称した。(北多摩神社誌より)

「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」による内藤神社の由緒

内藤神社は日吉町四丁目に位置します。内藤新田は府中本宿村の内藤治助が享保9(1724)年に割当地を受けたのが始まりで、本格的な開発は享保14(1729)年とされています。神社はやや下った享保19(1734)年、近江日吉山王宮を勧請した(『北多摩神社誌』)ことに始まるとされ、江戸時代は「山王宮」の名称で、明治2(1869)年、内藤神社と改称されました。江戸時代は国分寺が別当、明治維新後は府中本宿稲荷社、続いて大國魂神社の神職が社務を勤めました。
境内は日吉町四丁目交差点から300メートル程北に入った場所に位置します。鳥居を潜った正面に社殿が南面し、南東側に石祠の稲荷社、南西に昭和24(1949)年建築の太鼓堂、北西に昭和35(1960)年建築で石祠の山ノ神が配されます。
現在の拝殿は明治26(1893)年建築とされ同年銘の神鏡台も残ります。昭和58(1983)年トタンから銅板に屋根を葺替え、平成9(1997)年になって本殿覆殿を増築しました。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)


内藤神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)
  • 「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」