大谷弁財天|八王子市大谷町の神社

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大谷弁財天|八王子市大谷町の神社

大谷弁財天の概要

大谷弁財天は、八王子市大谷町にある神社です。大谷弁財天は、残されている石殿から、当地住民が元文3年(1738年)に石殿を建てて弁財天を勧請したといいます。その後天明の飢饉(1782)に際しては、当地を知行していた八王子千人同心頭荻原氏が、溜池を堀りに弁財天を祀ったとも伝えられ、寛政5年(1793)には大谷村の講中により石殿が造立されています。現在は日月神社の飛地境内となっています。

大谷弁財天
大谷弁財天の概要
社号 弁財天
祭神 弁財天
相殿 -
境内社 -
住所 八王子市大谷町、小宮公園地
祭日 -
備考 -



大谷弁財天の由緒

大谷弁財天は、残されている石殿から、当地住民が元文3年(1738年)に石殿を建てて弁財天を勧請したといいます。その後天明の飢饉(1782)に際しては、当地を知行していた八王子千人同心頭荻原氏が、溜池を堀りに弁財天を祀ったとも伝えられ、寛政5年(1793)には大谷村の講中により石殿が造立されています。

境内掲示による大谷弁財天の由緒

大谷弁財天・弁天池の由来
ここは昔、武蔵国多摩郡大谷村と云い、付近に杉の大木が茂っていたことから大杉谷戸といわれていました。
今境内は八王子市大谷町一〇三五番地で大谷町日月神社の所有地です。総面積は二五〇〇平方米(約七五〇坪)、うち池の部分は一四〇〇平方米(約四二〇坪)です。この池の水は、ひよどり山の湧水を水源とし、堀川を下った一帯には古くから水田が開かれ、近年まで稲作が行われていました。
当地区の旧家に伝わる古文書によると、明治三年(一八七〇年)の「武蔵多摩郡大谷村明細帳」に寛文六年(一六六六年)に池の検地(測量)がなされたと記録されていることから、池の存在はかなり古いことになります。
元文三年(一七三八年)この土地の人々が、池のほとりに石殿を建て、弁財天を勧請し、五穀豊穣と生活の安寧を祈願したものと思われ、その石殿に「大谷村日待講中」の名と年号が刻まれたものが保存されています。
また、天明の飢饉(一七八二年)のときに、ここを知行していた八王子千人同心頭の荻原氏が水田灌漑確保のために、溜池を堀り、そこに弁財天を祀ったとも云い伝えられています。
その後、寛政五年(一七九三年)「大谷村講中」の手によって再び石殿が建てられ、これも元文三年のものとともに新社殿に安置されています。
このたび、多くのかたがたの貴重な浄財によって新社殿が完成しました。まつられている弁財天には、昔日その縁日に近郷近在から多くの参詣者が訪れ、賑いを見せたものです。
広く弁天恩恵を受けた水田は時代とともに開発がすすみ、すっかり姿をかえました。
今、周辺は公園の自然と一体となって静かに明け暮れています。
どうぞ憩いのひとときごゆっくり散策してください。
平成二十年七月吉日 大谷弁財天社殿再建委員会(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による大谷弁財天の由緒

(大谷村)
該当記載なし(新編武蔵風土記稿より)


大谷弁財天の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑