叡光山安養寺|浅草寺の御分体の観世音菩薩、多摩川三十三ヶ所観音霊場
安養寺の概要
天台宗寺院の安養寺は、叡光山佛乗院と号します。安養寺は、川越仙波喜多院と同様に慈覚大師が開山、永仁四年勅命により再興、尊海僧正(建武元年寂)が中興開山となったといいます。江戸時代には寺領15石の朱印状を拝領、末寺門徒十数ヵ寺を擁していました。観音堂の観世音菩薩は浅草寺の御分体で、多摩川三十三ヶ所観音霊場5番札所となっています。
山号 | 叡光山 |
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院号 | 佛乗院 |
寺号 | 安養寺 |
本尊 | 阿弥陀如来坐像 |
住所 | 府中市本町1-17-10 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 多摩川三十三ヶ所観音霊場5番 |
安養寺の縁起
安養寺は、川越仙波喜多院と同様に慈覚大師が開山、永仁四年勅命により再興、尊海僧正(建武元年寂)が中興開山となったといいます。江戸時代には寺領15石の朱印状を拝領、末寺門徒十数ヵ寺を擁していました。
新編武蔵風土記稿による安養寺の縁起
(本町)安養寺
矢崎にあり、叡光山佛乗院と号す、天台宗、東叡山(寛永寺)の末、御朱印十五石の寺領を附せらる、末寺三院、門徒十一寺を統、観音勢至立身、各長一尺、川越仙波喜多院と同く慈覚大師の開山なりと云、寺傳に永仁四年勅によりて再興ありと云、尊海僧正を以て中興開山となす、建武元年十一月廿日寂、それより後今に至て二十九世に及べりとぞ、その間しばしば鬱収の災に罹りて、舊記等皆失へり、よりて古を尋ぬるに便りなし、此に寄談あり、尊海より第三世等海に随従せし狸あり、名を筑紫三位と呼べり、その筆せしものとて、起立の来由などあやしげにつづりしものあり、今寺寶となして蔵せり。
山王社。小社、客殿の西にあり、境内の鎮守。(新編武蔵風土記稿より)
安養寺のもと末寺
安養寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿