長泉寺|あきる野市草花にある臨済宗建長寺派寺院

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薬王山長泉寺|関口次右衛門が開基、開明学校地

長泉寺の概要

臨済宗建長寺派寺院の長泉寺は、薬王山と号します。長泉寺は、関口次右衛門が開基となり、教翁念公和光大禅師(寛文8年1668年寂)が開山したといいます。明治16年には大行寺より開明学校が移設され、明治35年には慈勝寺に吸収されて廃寺となっています。

長泉寺
長泉寺の概要
山号 薬王山
院号 -
寺号 長泉寺
住所 あきる野市草花2966
宗派 臨済宗建長寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



長泉寺の縁起

長泉寺は、関口次右衛門が開基となり、教翁念公和光大禅師(寛文8年1668年寂)が開山したといいます。明治16年には大行寺より開明学校が移設され、明治35年には慈勝寺に吸収されて廃寺となっています。

新編武蔵風土記稿による長泉寺の縁起

(上草花村)長泉寺
薬師免除地、田一段一畝五歩、畑四畝、小名久保にあり、禅宗臨済派にて、同郡戸倉村光嚴寺末、薬王山と號す、開山詳ならず、本尊釋迦、木の坐像、長一尺八寸、客殿は五間に七間にして、南向なり、
薬師堂
境内にあり、二間四方の堂なり、薬師は石に彫つけたる像にて、長一尺二寸ばかり、石の大さは長一尺七寸、幅八寸ほどなり、土人云、この薬師は昔時弘法大師行脚のとき、この村の民家某がもとに宿りしに、主の女竹と云もの死けるを不便に思ひて、石面に爪にて彫付し像なりと、されど是等のことはただ里民の口碑に傳へしのみにて、信ずべきことには非れど、姑く傳るまゝをしるせり。(新編武蔵風土記稿より)

「秋川市史」による長泉寺の縁起

長泉寺(草花二九六六番地)
山号を薬王山といい、臨済宗建長寺派、五日市町戸倉の光厳寺末であった。木尊は木造釈迦如来坐像。
この寺の開基は関口次右衛門という人で、創立年代は不詳であるが、江戸時代の初めで寛文年間(一六六一~七二)前後であろうといわれている。寛文八年(一六六八)三月の雨宮勘兵衛検地の折に、薬師免として一反五畝五歩が除地となっている。
境内に薬師堂があって、弘法大師爪がきと伝える石造線刻の薬師像を安置している。この薬師の除地であったのである。
開山は教翁念公和光大禅師といい、寛文八年(一六六八)四月四日に入寂している。それから五世の住職が続いたが、経済的に維持困難となり、明治三十八年(一九O五)九月六日、慈勝寺に合寺されて、廃寺となった。(「秋川市史」より)


長泉寺所蔵の文化財

長泉寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿