長寿院|台東区鳥越にある浄土宗寺院

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長寿院|台東区鳥越にある浄土宗寺院

長寿院の概要

浄土宗寺院の長寿院は、もと寿松院の塔頭です。長寿院の創建年代等は不詳ながら、暁誉笈縁和尚(慶安3年1650年卒)が開基したといいます。

長寿院
長寿院の概要
山号 -
院号 長寿院
寺号 -
住所 台東区鳥越2-5-43
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長寿院の縁起

長寿院の創建年代等は不詳ながら、暁誉笈縁和尚(慶安3年1650年卒)が開基したといいます。

御府内寺社備考による長寿院の縁起

不老山無量寺寿松院
長寿院 起立之年代相知不申候。開基暁誉笈縁和尚。慶安3年10月15日卒。
本尊見返阿弥陀如来木立像丈2尺5寸。稲荷社1尺9寸2尺3寸。金比羅社1間9尺神体幣。地蔵堂1間4方、地蔵尊立像丈5尺5寸、地蔵尊石立像丈1尺6寸5分(御府内寺社備考より)


長寿院所蔵の文化財

  • 絹本着色仏涅槃図(台東区指定文化財)
  • 木造阿弥陀如来立像(台東区指定文化財)

絹本着色仏涅槃図

仏涅槃図は、釈迦の入滅に際し、弟子や鳥獣が泣き悲しむさまを描いたものです。平安時代以降、多くの作例が遺されていますが、図柄はおよそふたつの系統に分けることができます。ひとつは、釈迦が手足を伸ばして横たわり、構図を足元の方からとらえたもの。鳥獣の数は、あまり多くありません。もうひとつは、釈迦が右手を枕にし、足をやや曲げて横たわり、頭の方から構図をとらえたもので、弟子や鳥獣を非常に多く描いています。
本図は縦176.6cm、横150.2cm。図柄は、後者の作例のひとつ。弟子たちの悲しみの表情がきわめて写実的に描かれ、動物の種類が多いなど、鎌倉時代末期から南北朝時代の特徴が見られます。裏面の江戸時代に記された銘文によれば、元弘元年(1331)に助法橋尊有という絵師が描いたとあり、ほぼこの頃の作と思われます。
尊有については明らかでありませんが、本図の画風が南都絵所という絵師集団の作品に似ている点が注目されます。南都絵所は鎌倉時代から室町時代にかけて、奈良東大寺や興福寺に工房を構えた絵師たちの総称で、主に仏教絵画の制作を行っていました。さらに、南都絵所に所属する絵師たちの多くが「尊」「有」の字を名に用いているおり、これらのことから「尊有」も南都絵所の絵師であった可能性が考えられます。
本図は平成3年2月に文化財台帳に登載されましたが、制作が優秀で、中世の絵画史を考える上できわめて貴重な遺品であることから、翌年3月に指定文化財となりました。

木造阿弥陀如来立像

この阿弥陀如来像は、浄土宗に属する長寿院の本尊です。顔を左斜め下に傾けた珍しい姿をした阿弥陀如来像で、「見返り阿弥陀」の俗称があります。この特異な像容及び名称について、長寿院では次のような縁起を伝えています。
昔、奥州名取郡の老婆が紀州熊野権現に参詣したときのこと、恵心僧都という著名な僧侶に会い、僧都の持っていた阿弥陀如来像を貰い受けました。老婆は喜んで帰途につきましたが、武蔵国豊島郡まで来ると阿弥陀像は突然重くなり、老婆は近くの寺に安置して、一人故郷へ帰りました。江戸時代初期、この像は神田の長福寺という寺にありましたが、像にまつわる縁起を聞き伝えた笈縁という僧が、この像を深く信仰し、長寿院を開いて本尊としたそうです。ある日、笈縁が阿弥陀像の傍らで一心に念仏を唱えていた際、「笈縁々々」という声がするので、ふと阿弥陀像を見上げたところ、阿弥陀像の顔が笈縁の頭上に向けて左に傾き、以来「見返り阿弥陀」と呼ばれるようになったそうです。
本像のように「見返り阿弥陀」の名をもつ阿弥陀如来像として、京都禅林寺永観堂の木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代制作)が著名ですが、類例はきわめて稀です。
本像は、鎌倉時代後期の制作。顔から胸にかけて漆箔をほどこし、衣の文様には切金を用いて、今なお鮮やかな金色を残しています。とくに切金文様はとても精緻にほどこされ、顔や着衣に見られるしっかりした彫法とともに、制作者の高度な技術が偲ばれます。
本像は平成2年度区民文化財台帳に登載されましたが、他に類例の少ない像容を有する上、鎌倉時代後期の高度な彫刻技術を見ることができることから、同3年度指定文化財となりました。


長寿院の周辺図


参考資料

  • 御府内寺社備考