永久寺|台東区三ノ輪にある天台宗寺院

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養光山永久寺|江戸五色不動の目黄不動

永久寺の概要

天台宗寺院の永久寺は、養光山金碑院と号します。永久寺の創建年代等は不詳ながら当初真言宗寺院で唯識院と号していたといいます。その後、僧月窓(大僧都圭海法印)が日蓮宗に改め大乗坊蓮台寺と号していたところ、月窓の父が厳有院様御母方異父の御叔父だった縁から、将軍の命により月窓は日光御門主本照院宮の御弟子となり、圭海と改め、寺を天台宗に改めて養光山永久寺としたといいます。永久寺は、江戸五色不動のひとつ目黄不動として知られています。

永久寺の概要
山号 養光山
院号 金碑院
寺号 永久寺
住所 台東区三ノ輪2-14-5
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 江戸五色不動の目黄不動



永久寺の縁起

永久寺の創建年代等は不詳ながら当初真言宗寺院で唯識院と号していたといいます。その後、僧月窓(大僧都圭海法印)が日蓮宗に改め大乗坊蓮台寺と号していたところ、月窓の父が厳有院様御母方異父の御叔父だった縁から、将軍の命により月窓は日光御門主本照院宮の御弟子となり、圭海と改め、寺を天台宗に改めて養光山永久寺としたといいます。

「下谷區史」による永久寺の縁起

永久寺(三ノ輪町八四番地)
延暦寺派、本尊三尊阿彌陀如来。寛文七年六月、山野嘉右衛門永久の開基する所で、元禄七年正月、僧圭海が輪王寺宮の命を奉じて再建し、東叡山内養壽院の末寺となつた。
寺内に不動堂があり、慈覺大師作と傳へる不動尊を安置する。目黄不動にて鼠不動とも稱せられたが、かの目白、目黒、目赤不動の如く普く人の知るところとならなかつた。(「下谷區史」より)

御府内寺社備考による永久寺の縁起

東叡山養寿院末 下谷三ノ輪町
養光山金碑院永久寺 境内御年貢地947坪門前町屋アリ
夫当寺は往古真言宗ニ而号唯識院。星霜を経て敗かひせしを、道安和尚悉殿堂を再造して禅閣となし、白岩寺と改ム。亦衰微せしを四谷本源寺弟子月窓修理して大乗坊蓮台寺ト唱日蓮宗となる。月窓父は七沢作左衛門入道して雲晴と称、母ハ増山泉光院殿ニ而厳有院様御母方異父之御叔父也。爰に蒙台命日光御門主本照院宮之御弟子となり、圭海と名付、天台宗に改て養光山永久寺と号し、其後東叡山浄円院トなる。御朱印200石寄附あり今の律院是ナリ又同山内養寿院と成る。ここに当寺檀越山野加右衛門永久といふ者有。本所宅地を拝領せり。人を切事一千人に及て其亡霊を供養せんために、本照院宮奉拝謁、則金錍院殿透関宗鐵居士之法名を賜。然当寺仏閣諸堂を悉く建立し門前地を寄附し、其功若干なれハとて、実名永久之二字を以永久寺と号す。寛文7年6月13日卒。年七拾六歳。帯する所の太刀四尺六寸石塔今に在。然を月窓改称圭海法印。抑大僧都圭海法印者。家綱公御母堂宝樹院殿同腹御実弟に而男女兄弟八人也。羽州羽黒山執行別当を兼帯し、終に京都愛宕山長床坊住職して天台顕密の僧と云々。中興開山圭海法印。(御府内寺社備考より)


永久寺所蔵の文化財

  • 鎌倉時代末期の嘉暦3年(1328)銘板碑
  • 戦国時代初期の享禄2年(1529)銘板碑

永久寺の周辺図