善照寺|台東区寿にある真宗大谷派寺院

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本光山善照寺|台東区寿にある真宗大谷派寺院

善照寺の概要

真宗大谷派寺院の善照寺は、本光山歓喜院と号します。善照寺は、小田原善照寺十世宗栄が天正18年(1590)江戸で創建、木挽町・神田・下谷七軒町への移転を経て当地へ移転したといいます。江戸時代には栄敬寺真敬寺、浄法寺、応瑞寺の4ヶ寺(うち浄法寺、応瑞寺は元禄の頃廃寺)の寺中寺を擁していたといいます。

善照寺
善照寺の概要
山号 本光山
院号 歓喜院
寺号 善照寺
住所 台東区寿1-11-8
宗派 真宗大谷派
葬儀・墓地 -
備考 -



善照寺の縁起

善照寺は、小田原善照寺十世宗栄が天正18年(1590)江戸で創建、木挽町・神田・下谷七軒町への移転を経て当地へ移転したといいます。

御府内寺社備考による善照寺の縁起

東本願寺末、浅草新堀端
本光山歓喜院善照寺、境内古跡拝領地千二百拾坪内門前町屋有之
当寺元相州小田原に有之。天正十八寅年堂字悉く兵火二焼失仕候二付、江戸へ引移再建仕候。江戸表最初起立之地并年代相知不申候。慶長年中木挽町二移転仕、其後神田金沢町二引移、又候下谷七軒町二移、又々当時之地江移転仕候。明暦己来数度類焼仕旧記焼失、移転之年代相知不申候。古来ハ新堀東側往来并堀内迄境内二有之候処、新堀出来之節差上、追而代地被下候様被仰付候由申伝候。慶長之頃ハ御府内二当宗之寺院纔ニ三ケ寺御座候処、東本願寺御取立之砌、二ヶ寺ハ西本願寺二属し、当寺斗り早速東本願寺末寺二相成候二付、御起立之東本願寺江最初二帰属仕候事故東照宮様格別奇特二被為思召、則御目見被仰付。其後中興四代臨江律師儀
厳有院様 御代始二付、慶安四辛卯年十月 御目見御礼申上、且御時服拝領仕候。依之中古迄登城之節者乗輿独礼二御座候処、其後中絶仕候。右故於本山茂末寺最初之寺院二付、教如御門主種々拝領物等仕、追々寺格被取立、於今格別之由緒二御座候。尤当時寺格院家之由二候。
開山及相州小田原起立之儀、旧記焼失、相知不申候。但旧地今以相州小田原新宿二善照寺ト申同宗之寺跡御座候。
中興開祖明信法師。江戸麻布善福寺兄弟(十八世ノ弟也ト而巳云伝フ)。寛永三丙寅年八月廿五日示寂。
本堂。本尊阿弥陀如来、立像丈弐尺七寸余、作者不相知、恵心之作共申候。
大鐘。右明暦二年鋳造。
大猷院様御斃之節、善照寺臨江茂御諷経二罷出候処、所以御座候二付、御施物他寺二倍シ拝領被仰付候。依之右御施物を以鋳立候趣銘文二有之候。(鐘銘省略)
初而東本願寺二帰属セシニ依テ教如上人宝物ヲ玉フ。其品左ノ如シ。
一、弥阿画像 壱幅 親鸞上人真筆
一、十字名号 右同筆
一、和讃 一部 証如上人真筆
什宝
一、親鸞上人和讃二三枚残レリ。
一、弥陀像 立像丈七寸壱歩春日作 元禄之頃神谷氏が寄附。此弥陀霊験アリト云。背二鎌アリ。釈宣如花押。
一、大無量寿経之内四句并和讃壱首 教如上人真筆。
按ニ、洪鐘鋳造スルノ臨江律師ハ本多家之親族タリ。此故ニヤ本多佐渡守正信ノ位牌有。法号納誨院善徳。元和二年丙辰六月七日卒ス。
寺中
栄敬寺、地所坪数百十四坪七合五勺
開祖円徳法師。天和三癸亥年五月十五日示寂。
中興三世順覚法師。元文二丁巳年閏十一月九日示寂。
本堂。本尊阿弥陀如来 立像丈弐尺
真敬寺、地所坪数百三坪七合五勺
開祖宗伝法師。元禄十三庚辰年十一月十二日示寂。
本堂。本尊阿弥陀如来 立像丈壱尺八寸
浄法寺
応瑞寺
右二ケ寺元禄之頃廃し候由申伝候。
以上乙酉書上
小田原善照寺十世宗栄代に江府に一宇を建立。是も善照寺と号す。もと宗栄ハ竜頭山善福寺の住侶行宗といひける弟なり。彼より来て当寺を続けるか。宗栄跡を長子泰栄にゆつり江府の善照寺に隠居す。是当寺の末流なり(相州小田原大工町善照寺書上)
開基明信。阿左布善福寺十六代目の分なり。当寺相州小田原にあり。何れの代よりと云事しれす。慶長の頃当地に一宇建立す。そのころ浄土真宗の末弟三ヶ寺有り。善永寺称揚寺二ケ寺ハ本願寺分派の時西に属す。善照寺明信ハ東に帰す。よって教如上人感給ひ宝物を賜ふ(江戸砂子)
弥陀の像を納めしハ神谷縫殿助か家なり(捜索)(御府内寺社備考より)


善照寺の周辺図