廣楽寺|台東区今戸にある浄土真宗系単立寺院

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妙徳山廣楽寺|台東区今戸にある浄土真宗系単立寺院

廣楽寺の概要

浄土真宗系単立寺院の廣楽寺は、妙徳山と号します。廣楽寺は、釈寿玄法師(慶安3年1650年卒)が開基となり、元和6年(1620)に創建したといいます。

廣楽寺
廣楽寺の概要
山号 妙徳山
院号 -
寺号 廣楽寺
住所 台東区今戸2-4-2
宗派 浄土真宗系単立
葬儀・墓地 -
備考 -



廣楽寺の縁起

廣楽寺は、釈寿玄法師(慶安3年1650年卒)が開基となり、元和6年(1620)に創建したといいます。

御府内寺社備考による廣楽寺の縁起

京都東本願寺末 浅草今戸町
妙徳山廣楽寺、境内405坪内除地330坪年貢地75坪
起立元和6年。
開基釈寿玄法師。号唯勝坊。慶安3年12月12日卒ス。
本堂、本尊弥陀如来木立像丈2尺4寸。
身撫川稲荷社。
岸影松。(御府内寺社備考より)


廣楽寺所蔵の文化財

  • 木造阿弥陀如来立像(台東区登載文化財)

木造阿弥陀如来立像

平安時代中期から鎌倉時代は、天災・飢饉や戦乱が続き、仏の教えが絶えてしまう世、末法の世と考えられていました。そうした時代にあって、貴賎を問わず多くの人々が世を厭い、極楽浄土への往生を願いました。当時の往生をのぞむ人々の心をもっともとらえたのが、極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来です。阿弥陀如来を念じること(念仏)により、臨終の際には如来自らが臨終者の元に来て、極楽浄土へ迎えてくれると考えられたためです。
こうした教えを「浄土教」といいます。平安時代中期に比叡山延暦寺の源信という僧侶が浄土教を強く唱えると、以後の延暦寺は浄土教を学ぶ僧侶たちの拠点ともなりました。やがて、延暦寺で浄土教を学んだ法然や、その弟子の親鸞は、さらに浄土教を奥深くきわめるとともに、多くの民衆に広め、後にそれぞれ浄土宗・浄土真宗の開祖と仰がれるようになりました。
当時の人々の極楽浄土への希求、阿弥陀如来の来迎を願う気持は、仏像としての阿弥陀如来の形にも変化をもたらし、鎌倉時代初期の仏師快慶によって、左足をやや前に踏み出した「来迎形」という阿弥陀如来像が定型化されました。
廣楽寺の本尊木造阿弥陀如来立像は、総高81.4cm。典型的な来迎形の阿弥陀如来像です。また、輪郭を卵形にした温和な顔、彫刻技術の堅実さは、同形の阿弥陀如来像の中でも優れたものに属しています。このようなことから、本像の制作年代は鎌倉時代中期頃(13世紀半ば)と考えられます。
本像は、廣楽寺の伝承によれば江戸時代初期には大久保右京亮教隆という人の所有でしたが、教隆は寛永9年(1632)東本願寺13世光従に願い、浄土真宗の仏像として認める旨の裏書を受け、当寺の本尊に招来したといいます。


廣楽寺の周辺図