向島百花園|墨田区東向島の庭園

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向島百花園|文化元年に佐原鞠鵜が開園、隅田川七福神の福禄寿尊

向島百花園の概要

向島百花園は、文化元年(1804)佐原鞠鵜が開園しました。国指定文化財です。百花園に集まる江戸の町民文化を代表する文化人達の発案で隅田川七福神巡りが考案され、佐原鞠鵜が本草の神として愛蔵し信仰していた福禄寿尊が、隅田川七福神の福禄寿尊として、百花園庭内に祀られています。

向島百花園の概要
名所旧跡名 向島百花園
住所 墨田区東向島3-18-3
電話番号 03-3611-8705
みどころ -
備考 隅田川七福神の福禄寿尊



向島百花園について

百花園を造ったのは佐原鞠鵜で、文化元年(1804)のことでした。鞠鵜は宝暦12年(1742)仙台に生まれました。(一説に明和3年生まれ)。天明年間(1781-1788)江戸に出て、芝居茶屋に永年勤めたのち、日本橋住吉町で骨董店を開き北野屋平兵衛と改名し、諸大名に出入りして大いに繁昌しました。さらに長谷川町(中央区日本橋堀留町)に転居するとますます賑わい、茶人や文人・墨客の著名人が集まるようになりました。世才はもとより文才にもたけ、当時の文化人である加藤千蔭・村田春海・亀田鵬斎・大窪詩仏・蜀山人(太田南畝)・酒井抱一等にことのほか愛顧を受けました。
その後、故あって隠居して本所中之郷にひそみ、菊屋宇兵衛と改め、剃髪して鞠鵜と号し、寺島村の多賀屋敷跡三千坪を買い求めて百花園を開きました。この時、愛顧を受けた文人墨客に梅樹の寄付を求め、たちまち360本余りを得たといいます。そして風流第一ということで凝った囲いなどはせず、荒縄を結んで囲いとしました。そしてその伝統は守られ、今でも素朴で自然なたたずまいを残しています。
百花園という名は「梅は百花のさきがけ」という意味で、酒井抱一が命名したといわれています。そのほか臥竜梅で有名な亀戸の梅屋敷に対して新梅屋敷と呼ばれたり、花屋敷、七草園、鞠鵜亭などとも呼ばれました。やがて宮城野萩や筑波萩等の秋草をはじめ、しだいに草木の種類をふやし、四季花の絶えぬ庭園になりました。
こうした百花園の開園を何よりも喜んだ文人墨客たちは、何かと口実を設けて来園し、茶を喫したり談笑したりしました。そして蜀山人が「花屋敷」の扁額を掲げ、詩仏が左右の門柱に「春夏秋冬不断」「東西南北客争来」の聯をかけ、千蔭は「お茶きこしめ梅干もさむらふそ」の掛行燈を掲げる等して、百花園は江戸中にその名が知れわたり、庶民の行楽地にもなりました。なお、詩仏は「隅田川の土を以て製したる都鳥の香合云々」と角田川焼の看板を与え、園内で隅田川岸の土を使って楽焼きをし、香合のほか皿とか湯呑等素朴なものが作られました。
鞠鵜は天保2年(1831)8月に亡くなりました。辞世の歌は「隅田川 梅のもとにてわれ死なば 春咲く花の肥料ともなれ」の一首です。墓は近くの蓮花寺にあります。
この庶民の庭に、文政12年(1829)3月に11代将軍家斉が来園したことは当時としては破格のことでした。
この名園も、明治以来しばしば災難にあい荒廃に瀕しました。当時寺島村に別荘を構えた小倉石油の小倉常吉氏はこれを惜しく思い、私財を投じて園地を収め、旧景の保存に努めました。そして後々公開の意図を持って亡くなられ、未亡人がその遺志を継いで昭和13年すべてを東京市に寄贈されました。市は鋭意復旧にあたり14年公開にこぎつけました。しかし、今次の大戦ですべて焼失し、現在の姿にまでなったのは同33年頃以降のことです。たあ福禄寿の尊像だけは残り、隅田川七福神の一尊として人々から厚く信仰されています。なお、ふだんは白髭神社境内の小堂に祀られ、お正月だけ園内の福禄寿堂にお祀りします。

向島百花園にある隅田川七福神

隅田川七福神

文化元年(1804)向島百花園が開園してからここに集まる文人墨客たちが、園主佐原鞠鵜が、福禄寿尊を祀っているのを知り、この隅田川の東岸にも七福神がそろわないものかと考え、七福神にそれぞれ縁故をもる神社仏閣を探し出した。そして、初春七草の間に寿福を祝い、家門繁栄、家業隆盛を願う初参りの行事を創始したのが、隅田川七福神の始まりである。七福神の七という数は、陽を表す奇数であって、古くからめでたい数字とされている。七難即滅、七福即生、万性安楽という語句は七福神の語源ともいわれ、寿命、有福、人望、清廉、愛敬、威光、大量の七つの神々を象徴するもので、心新たな年頭にあたって参拝し、その年の至福を祈念するならわしが七福神初詣でのいわれである(昭和45年11月3日 墨田区)


向島百花園所蔵の文化財

  • 福禄寿尊案内碑
  • 松尾芭蕉の句碑(春もやや)
  • 千樹庵益賀の句碑(鳥の名の)
  • 亀田鵬斎「墨沱海荘記」の碑
  • 雲山先生看梅詩の碑
  • 茶筅塚
  • 松尾芭蕉の句碑(こにやくの)
  • 山上憶良の歌碑(秋の野に)
  • 大窪詩仏の碑(詩仏老人碑竹記)
  • 金令舎道彦の句碑(きょうの月)
  • 其角堂氷機の句碑(朧夜や)
  • しほふつか(忍ぶ塚)
  • きやうけんつか(狂言塚)
  • 飯島光峨翁之碑銘
  • 井上和紫の句碑(紫の)
  • 哥沢芝金之碑
  • 矢田惠哉翁之碑
  • 鶴久子の歌碑(空蝉の)
  • 二神の碑
  • 最中堂秋耳の句碑(限なき)
  • 月岡芳年翁之碑
  • 杉谷雪樵の碑(芦雁図)
  • 螺舎秀民の句碑(芦の芽や)
  • 七十二峰十湖の句碑(何事も)
  • 雪中庵梅年の句碑(黄昏や)
  • 北元居士の句碑(水や空)
  • 宝屋月彦の句碑(うつくしき)

向島百花園の周辺図