観泉寺|杉並区今川にある曹洞宗寺院

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宝珠山観泉寺|今川氏真を開基、今川家の菩提寺

観泉寺の概要

曹洞宗寺院の観泉寺は、宝珠山と号します。観泉寺は、鉄叟雄鷟大和尚が開山となり、慶長2年(1597)観音寺として創建したといいます。今川十三代直房が当寺を今川家の菩提寺として観泉寺と改め、祖父氏真を開基、姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興としたといいます。

観泉寺
観泉寺の概要
山号 宝珠山
院号 -
寺号 観泉寺
住所 杉並区今川2-16-1
本尊 釈迦如来像
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 今川宝珠殿
備考 -



観泉寺の縁起

観泉寺は、成願寺6世鉄叟雄鷟大和尚が開山となり、慶長2年(1597)観音寺として創建したといいます。今川十三代直房が当寺を今川家の菩提寺として観泉寺と改め、祖父氏真を開基、姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興としたといいます。鉄叟雄鷟大和尚は、清見寺も創建した名僧です。

杉並区教育委員会掲示による観泉寺の縁起

当寺は宝珠山観泉寺といい、本尊は釈迦如来で、戦国時代の名門今川氏ゆかりの寺として広く知られています。寺伝によれば、慶長二年(1597)今の下井草二丁目付近に開山鉄叟雄鷟大和尚により創建され、観音寺といわれました。
正保二年(1645)今川十三代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤めました。その功により井草村など三か村五百石の加増をうけましたので当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興としました。その後万昌院(現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬しました。
ここに眠る開基今川氏真は、二十三歳の永禄三年(1560)五月十九日「桶狭間の戦」で織田信長によって父義元を失い、その後出家しましたが歌人としても多くの歌を残しています。(杉並区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による観泉寺の縁起

(上井草村)観音寺
除地、千八百九十坪余。村の東の方小名八町にあり。宝珠山本井院と号。禅宗曹洞派にて本郷村成願寺末、寺領御朱印十石を附せらる。地頭より六町歩を寄附す。其地は井草村にあり。開山を鉄叟雄鷲と云、寛永十二年九月十三日寂す。開基は詳ならず。
表門。客殿の正面にあり。
客殿。九間に七間南向、本尊釈迦の坐像長一尺五寸なるを安ず。
鐘楼。門を入て右の方にあり。二間四方、鐘のわたり二尺四寸五歩、高さ四尺八寸、近き頃の物なり。
観音堂。門を入て左の方にあり。二間に一間半東向、観音の像は立像にて長一尺三寸。
閻魔堂。観音堂の並にあり。三間半に三間東向、閻王は木の坐像にて長三尺。
秋葉白山稲荷合社。本堂の西南方にあり。境内の鎮、本社一間半に七尺東向、拝殿二間に八尺、秋葉の神体は長七寸許。白山は長四寸、稲荷は長三寸五分何れも木の立像なり。(新編武蔵風土記稿より)


観泉寺の周辺図