築地本願寺和田堀廟所|杉並区永福にある浄土真宗本願寺派寺院

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築地本願寺和田堀廟所|関東大震災後に近代的公園墓地として建立

築地本願寺和田堀廟所の概要

浄土真宗本願寺派寺院の築地本願寺和田堀廟所は、築地本願寺の廟所です。築地本願寺和田堀廟所は、大正12年の関東大震災後に、陸軍省火薬庫跡から払下げられた当地に近代的公園墓地として作られたといいます。

築地本願寺和田堀廟所
築地本願寺和田堀廟所の概要
山号 -
院号 -
寺号 築地本願寺和田堀廟所
住所 杉並区永福1-8-1
本尊 阿弥陀如来
宗派 浄土真宗本願寺派
葬儀・墓地 築地本願寺和田掘廟所光寿閣
備考 新規墓地・納骨堂受付中



築地本願寺和田堀廟所の縁起

築地本願寺和田堀廟所は、大正12年の関東大震災後に、陸軍省火薬庫跡から払下げられた当地に近代的公園墓地として作られたといいます。

杉並区教育委員会掲示による築地本願寺和田堀廟所の縁起

当廟所は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)に所属する築地本願寺の分院で、阿弥陀如来が本尊として安置されています。
大正12年9月1日の関東大震災によって、築地本願寺は、寺中57の子院と共に焼失しました。その再建については、他に移転の議もありましたが、結局現地復興となり昭和10年インド様式の大本堂の完成を見ました。墓地については、他に移転することにしていたところ、陸軍省火薬庫跡であった当地が払下げられることになり、昭和4年出願が許可され翌5年当地を所有し、地名にちなんで和田掘廟所と名付けました。
12,000坪の広さを有し、富士が望める閑静な近代的公園墓地として注目されました。
ところが昭和20年5月25日、空襲により建物はことごとく焼失しました。しかし、幾多の困難の中バラック建の仮本堂を建てて宗教活動を続けました。ようやくにして同28年、本堂が再建され更に伝道会館や門信徒会館が建てられ今日に至っています。
墓地には樋口一葉・九条武子・伊東巳代治・藤原銀次郎・水谷八重子・古賀政男等著名人の墓があります。また明暦の大火で焼失した築地本願寺(当寺は浜町御坊)の再建に力を尽くした佃島の人々の墓地があり、その佃島の祖先33名の由来が書かれた石碑も建てられています。(杉並区教育委員会掲示より)


築地本願寺和田堀廟所の周辺図