護郷神社。越谷市増林の神社

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護郷神社。旧浅間神社に諸社を合祀

護郷神社の概要

護郷神社は、越谷市増林にある稲荷神社です。護郷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には浅間社と称して増林村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際して増林香取神社が村社となり、当社は無格社とされたものの、大正2年に実施された神社整理に際し地内の諸社を合祀、護郷神社と改号し当社が村社となっています。

護郷神社
護郷神社の概要
社号 護郷神社
祭神 木花佐久夜比賣命
相殿 -
境内社 -
祭日 初山祭6月30日、虫追い祭7月19日、九日祭10月9日
住所 越谷市増林3199
備考 -



護郷神社の由緒

護郷神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には浅間社と称して増林村の鎮守として祀られていました。明治維新後の社格制定に際して増林香取神社が村社となり、当社は無格社とされたものの、大正2年に実施された神社整理に際し地内の諸社を合祀、護郷神社と改号し当社が村社となっています。

新編武蔵風土記稿による護郷神社の由緒

(増林村)
淺間社
村の鎮守、福壽院の持、
末社山王
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香取社二宇
一は寶蔵院、一は村民の持
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八幡社
梅光院持
末社稲荷
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稲荷社
持同じ、
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天神社二宇
一は大正院の持、一は村民の持、
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神明社
大正院持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による護郷神社の由緒

護郷神社護郷神社<越谷市増林三一九九(増林字根通)>
増林は別に「ましばやし」といわれ、大落古利根川と元荒川に挟まれた村である。地名の由来は、両河川の自然堤防上に多くの樹木が自生していたことによる。当社はこの村のほぼ中央に位置している。当社は『風土記稿』に「浅間社村の鎮守、福寿院持」と載る。嘉永六年(一八五一ニ)正月の「武州崎玉郡増林村領穀高普請出銭覚」(須賀徳雄家文書)によると「社地並田畑合壱反八畝廿分 浅間免地別当福寿院」とあり、このうち社地は六畝、田畑一反二畝二〇歩あった。
明治初年の神仏分離により、別当福寿院は当社の祭祀から離れた。
『明細帳』には「維新ノ際、神職受持トス」とあるが、当時の神職名は不明である。福寿院は、その後廃寺となった。
大正二年一月二十九日、増林字下前(下組)の村社香取神社、字根通(上の一区・二区)の無格社香取神社、無格社八幡神社、字境地垣根添(中組)の無格社天神社、無格社神明社、字川添(前波)の無格社水神社、字城ノ上の無格社稲荷神社、花田字屋敷前の無格社第六天社、字長堀の無格社浅間神社、中島字前通の村社稲荷社を当社に合祀した。社名は、郷土を守護する神々を祀る神社であるということで「護郷神社」と号した。現在の社殿は、合祀の折、字根通にあった八幡神社の本殿と拝般を移築したものである。(「埼玉の神社」より)


護郷神社の周辺図