砂新田吉田神社。川越市砂新田の神社

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砂新田吉田神社。川越藩家臣吉田治兵衛政次にまつわる社

砂新田吉田神社の概要

砂新田吉田神社は、川越市砂新田にある神社です。砂新田吉田神社の創建年代等は不詳ながら、当社は塚上に鎮座しています。この塚は川越藩松平家の家臣吉田治兵衛政次が、世をはかなんで自己の武具類を埋めて築いたとも、また、塚を築いて即身成仏を遂げたとも、また或は娘が榛名神社の湖に身を投げて蛇になってしまったのを悼んで吉田稲荷神社に盛土をしたとも伝えられ、新編武蔵風土記稿では「次兵衛塚」として記されています。次兵衛塚上に祀られていた稲荷社(吉田稲荷神社)は、明治4年に砂新田春日神社に合祀され、当地はその飛び地境内となり、当社は遥拝所となりましたが、春には当地で祭礼が行われているといいます。

砂新田吉田神社
砂新田吉田神社の概要
社号 吉田神社
祭神 -
相殿 -
境内社 -
祭日 3月25日
住所 川越市砂新田
備考 -



砂新田吉田神社の由緒

砂新田吉田神社の創建年代等は不詳ながら、当社は塚上に鎮座しています。この塚は川越藩松平家の家臣吉田治兵衛政次が、世をはかなんで自己の武具類を埋めて築いたとも、また、塚を築いて即身成仏を遂げたとも、また或は娘が榛名神社の湖に身を投げて蛇になってしまったのを悼んで吉田稲荷神社に盛土をしたとも伝えられ、新編武蔵風土記稿では「次兵衛塚」として記されています。次兵衛塚上に祀られていた稲荷社(吉田稲荷神社)は、明治4年に砂新田春日神社に合祀され、当地はその飛び地境内となり、当社は遥拝所となりましたが、春には当地で祭礼が行われているといいます。

新編武蔵風土記稿による砂新田吉田神社の由緒

(砂新田)
次兵衛塚
村の南川越街道の傍にあり、高さ二丈許、村内本明院の開基吉田次兵衛は、松平伊豆守が物頭なり、此地己が給地なれば一寺を開基し、且己が蔵せる武具をば埋て此塚築きし山、子孫吉田傳左衛門は今松平右京大夫に仕へりと云、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による砂新田吉田神社の由緒

また、三月二五日には境内社ともなっている吉田稲荷神社の祭典が、旧地にある遥拝所において行われ、この時、蝉子連が蝉子を行う。昔はこの日に吉田神社の神札が授与されたという。
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末社の吉田稲荷神社は現在も旧地に遥拝所として残るが、『風土記稿』には「村内本明院の開基吉田治兵衛は、松平伊豆が物顕なり、此地己が給地なれば一寺を開基し、且己が蔵せる武具をば埋て此塚築きし由」とある。
一説に、この治兵衛が世をはかなみ、余生短いことを悟り、塚を築いて即身成仏を遂げたとも伝える。また、口碑によると、治兵衛には子が無かったので、榛名神社へ願を掛け娘を授かったが、礼参りに行った所、その娘が榛名湖へ身を投げ蛇になってしまった。治兵衛はこれを悼み吉田稲荷神社へ盛土をしたと伝えられ、乳母と娘の墓は今も榛名山にあるという。以来、娘の加護により当地には雹が降らないといわれ、戦前までは近在より霊除けの神札を受けに来ていた。(「埼玉の神社」春日神社項より)


砂新田吉田神社の周辺図