砂新田春日神社。川越市砂新田の神社

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砂新田春日神社。旧通称神明春日八幡合社

砂新田春日神社の概要

砂新田春日神社は、川越市砂新田にある春日神社です。砂新田春日神社の創建年代等は不詳ながら、砂新田は天文年間(1532-1555)ころより開拓が進んだことから、戦国時代から江戸時代前期にかけての創祀ではないかと思われます。江戸期には、流行していた三社託宜の影響か、神明春日八幡合社と称され、村の鎮守として祀られていました。明治維新後、春日神社と改称、明治4年に吉田稲荷神社を合祀しています。

砂新田春日神社
砂新田春日神社の概要
社号 春日神社
祭神 伊弉諾尊、速玉男命・事解男命
相殿 -
境内社 吉田稲荷神社、稲荷・八坂社
祭日 秋祭り10月14・15日
住所 川越市砂新田140
備考 -



砂新田春日神社の由緒

砂新田春日神社の創建年代等は不詳ながら、砂新田は天文年間(1532-1555)ころより開拓が進んだことから、戦国時代から江戸時代前期にかけての創祀ではないかと思われます。江戸期には、流行していた三社託宜の影響か、神明春日八幡合社と称され、村の鎮守として祀られていました。明治維新後、春日神社と改称、明治4年に吉田稲荷神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による砂新田春日神社の由緒

(砂新田)
神明春日八幡合社
村の鎮守なり、大蔵院の持、
末社。稲荷社、天王社
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稲荷社
村持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による砂新田春日神社の由緒

春日神社<川越市砂新田一四〇(砂新田字春日裏)>
川越市南部に位置する砂新田は、『風土記稿』に「此村天文の頃より始て民居となり」とある。
当社の創建にかかわる記録及び伝承は失われてしまっているが、『風土記稿』には「神明春日八幡合社」とあり、江戸期に広められた三社託宜の影響で祭祀されたとも考えられる。『明細帳』には春日神社とあるのみで、祭神も天児屋根命一柱だけが記されている。
現在、氏子の中でも神明・八幡に関する伝えは全くなく、古くから春日のみと考えられている。しかしながら、内陣には「春日大神」のほか、「天照皇大神宮」と「八幡大神」の幣束が現在も納められている。
社名がなぜ明治期になって春日神社となったかは不明であるが、内陣には以前、雌雄の鹿の木像があり、当地の伝説にも春日様が目を突いた話があることなど、春日神社としての古さを伝える。境内には、八坂神社と稲荷社及び明治四年四月に字下ノ道より合祀した吉田稲荷神社が祀られている(「埼玉の神社」より)


砂新田春日神社所蔵の文化財

  • 砂新田春日神社本殿(川越市指定文化財)

砂新田春日神社本殿

本殿は江戸彫彫刻で飾られた小型の一間流造で、屋根はこけら葺を模した板葺です。覆屋の板床上にすえられていますが、覆屋は三方に高欄をつけた舞台風のつくりになっています。本殿の屋根は雨を受けるようにはつくられておらず、また、木製の亀腹を用い、彫刻も細かく手の込んだもので、全体に工芸的なつくりになっています。
壁面の彫刻は左側面が竜と琴をひく婦人、右側面は虎と翁と童子で、背面にはありません。彫刻にはかなりの厚みがあって立体感が強調されています。右側面、脇障子寄りの足元に「東都彫工 嶋村俊正(花押)」の刻銘があります。
嶋村俊正は、嶋村俊元八代と称することもあり、留五郎を名乗り、天保十二年(一八四一)の箭弓神社奉納額に名を残しています。「嶋村俊元八代」は、宮下町の氷川神社本殿、木野目の稲荷神社本殿を手掛けた俊表も名乗っています。俊表と俊正の関係はあきらかではありませんが(一説に兄弟ともいう)、俊正も嶋村流の工匠であることは間違いないでしょう。
作風は、庇の竜、側面の松の枝ぶり、波頭などを見ると繊細でかつ鋭く、触れると折れてしまうのではないかと思わせるほどです。建築の建立年代を直接示す史料はありませんが、十九世紀中期と考えられます。(川越市教育委員会掲示より)

砂新田春日神社の周辺図