徳川綱吉御殿跡|練馬区北町の名所旧跡

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徳川綱吉御殿跡|練馬区北町の名所旧跡

徳川綱吉御殿跡の概要

徳川綱吉御殿跡は、練馬区北町にある旧跡です。徳川綱吉御殿跡は、将軍に就任する前の右馬頭徳川綱吉が、当地に滞在していた際に用いられていた御殿の跡です。当地に滞在していた理由として『北豊島郡誌』では、徳川綱吉が脚症を患い、陰陽師から「馬」のつく地で静養するように卜されたとしていますが、定かではありません。徳川綱吉が将軍職に就任後、御殿は金乗院住職に譲られ、材木を利用して金乗院の改築に充当されたとされています。

徳川綱吉御殿跡
徳川綱吉御殿跡の概要
名称 徳川綱吉御殿跡
みどころ 旧跡
入場時間 -
入場料 -
住所 練馬区北町1-15-5
備考 -




徳川綱吉御殿跡

徳川綱吉御殿跡は、将軍に就任する前の右馬頭徳川綱吉が、当地に滞在していた際に用いられていた御殿の跡です。当地に滞在していた理由として『北豊島郡誌』では、徳川綱吉が脚症を患い、陰陽師から「馬」のつく地で静養するように卜されたとしていますが、定かではありません。徳川綱吉が将軍職に就任後、御殿は金乗院住職に譲られ、材木を利用して金乗院の改築に充当されたとされています。

境内掲示による徳川綱吉御殿跡について

徳川綱吉御殿跡之碑
この地一帯はかつて「御殿」と呼ばれた土地であった。
後に江戸幕府第五代将軍となる徳川綱吉が寛文年間(十七世紀後半)にこの地を鷹場とし、宿泊所として「鷹狩御殿」を建てたことに由来する。(境内掲示より)

「北豊島郡誌」による徳川綱吉御殿跡について

名勝及舊跡
【御殿跡】村内字御殿にあり、徳川五代の将軍源綱吉公未だ右馬頭たりし時、脚症に難み、醫療を加ふるも容易に治すべき模様見えざりしかば、陰陽頭をして之を卜せしむ、曰く宜く馬の字を付する地に静養するに加かずと、依て延寶五年此地に殿舎を建て、練馬御殿と稱し、居ること數年病漸く癒え、延寶八年四代将軍家綱薨ずるに及び、江戸城に歸る、之れより御殿の名あり、此殿舎は後に村内金乗院住職に賜ると云ふ、新編武蔵風土記稿に曰『屋敷跡は村の南にあり、右馬頭と稱せるもの住すと云ふ、其姓氏及何人たる事を傳へず、今陸田となり御殿、表門、裏門等の小名あり、礎石など掘出す事まゝあり云々』と。此地今平蕪に歸し、名物練馬蘿蔔(大根)の油々たるを見るのみ。(「北豊島郡誌」より)


徳川綱吉御殿跡の周辺図