谷原氷川神社|練馬区高野台の神社

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谷原氷川神社|谷原村鎮守

谷原氷川神社の概要

谷原氷川神社は、練馬区高野台にある氷川神社です。谷原氷川神社は、慶長年間(1596-1615)に増島氏が村民と謀り氷川大神を勧請して創建したと伝えられ。江戸期には谷原村の鎮守として祀られ、明治時代には谷原村の村社となっています。

谷原氷川神社
谷原氷川神社の概要
社号 谷原氷川神社
祭神 須佐之男命
境内社 皇大神宮(祭神天照大神)、八幡神社(祭神応神天皇)、春日神社(祭神天児屋根命)、稲荷神社
相殿 -
住所 練馬区高野台1-16
備考 谷原村鎮守、村社



谷原氷川神社の由緒

谷原氷川神社は、慶長年間(1596-1615)に増島氏が村民と謀り氷川大神を勧請して創建したと伝えられ。江戸期には谷原村の鎮守として祀られ、明治時代には谷原村の村社となっています。

練馬区教育委員会掲示による谷原氷川神社の由緒

当社は、社伝によると、江戸時代初期の創建といわれます。「新編武蔵風土記稿」に、「村ノ鎮守ナリ。長命寺ノ持」とあります。長命寺はここから南西約100メートルにある真言宗の名刹で、江戸時代は当社の別当寺でした。明治以降、旧谷原村の村社となりました。祭神は須佐之男命です。
明治の神仏分離、最近の道路拡幅工事などで、幾度か移転改築が行われましたが、棟札によると、本殿は天保6年(1835)、社殿は嘉永5年(1852)の建築です。
境内に皇大神宮(祭神天照大神)、八幡神社(祭神応神天皇)、春日神社(祭神天児屋根命)の三社があります。この三社は「新編武蔵風土記稿」谷原村長命寺の項に「三社宮 大神宮・八幡・春日三神ヲ安ス」とあるものです。江戸時代は長命寺境内にありましたが、神仏分離後、当社に移されました。ほかに稲荷神社があります。
拝殿内には江戸時代からの大絵馬十数枚が奉納されています。
石造物は文政12年(1829)の御手洗石や、他に灯籠・狛犬・各種記念碑など数多くあります。(練馬区教育委員会掲示より)

「練馬の神社」による谷原氷川神社の由緒

『新編武蔵風土記稿』谷原村の項に「氷川社 村ノ鎮守ナリ。長命寺ノ持。」「稲荷社三一ハ国広稲荷。……共二長命寺ノ持。」とある。『北豊島郡誌』石神井村の項では「〔村社 氷川神社〕大字谷原字東郷二千四百八十八番地に鎮座す……谷原村の鎮守なり、境内は一抹の森林にして、神風諷々、人をして襟を正さしむるに足れり…」と記される。『北豊島郡神社誌』は「由緒、創立、鎮座ノ年月不詳ナレドモ、現在ノ社殿ノ様式ガ往古ノ扇橡ヲ用ヒタルモノナルヨリ、凡ソ二百五六十年前ノ創立ナラムト云ハル。」「氏子石神井村大字谷原全部……二百三十戸」と記す。旧家増島家の言い伝えでは、慶長年間(一五九六-一六一五)に氷川大神を勧請したとされる。なお『風土記稿』長命寺の項に「三社宮 太神宮。八幡。春日。三神ヲ安ス。」とあるのが親在の境内社で、明治の神仏分離で遷ったものである。
境内石造物で古いのは、文政一二年(一八二九)の水盤で、燈籠、狛犬は大正四年(一九一五)以後、鳥居は昭和六一年造立。社殿はかなり古いが建立年代は不明。何度か改修され、柱など部分的に古いものが残る。昭和二九年(一九五四)の改修で境内の黒杉を用いた(昭和二九年の改修記念碑)。拝殿内には絵馬が多数あり、安政六年(一八五九)、万延年間(一八六〇~六一)のものが古い。神輿庫には四台の神輿と大小の太鼓がある。昭和三四年(一九五九)の慰霊碑には第二次大戦での四十四名の戦役者名を刻む。
境内には大樹が多い。シラカシ、カヤ、クロマツ、サクラ。それに幹回りが一mもあるヤブツバキがある。(「練馬の神社」より)

「東京都神社名鑑」による谷原氷川神社の由緒

創立立年代不詳。天正年間(市五七三-九二)より増島家のいい伝えによれば、増島左内、村民とはかり、慶長年間(一五九六-一六一五)に氷川大神を勧請し、当村の鎮守として崇敬され現在に至る。増島氏の子孫は連綿として現在も当町に住居する。(「東京都神社名鑑」より)


谷原氷川神社の周辺図

参考資料

  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
  • 「東京都神社名鑑」