下石神井天祖神社|練馬区下石神井の神社

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下石神井天祖神社|延宝二年(一六七四)の庚申塔

下石神井天祖神社の概要

下石神井天祖神社は、練馬区下石神井にある天祖神社です。天祖神社の創建年代は不詳ですが、延宝二年(一六七四)の庚申塔があることから、江戸時代初期には神明祠か伊勢の遥拝所があったのではないかといいます。

下石神井天祖神社
下石神井天祖神社の概要
社号 天祖神社
祭神 大日孁貴神・須佐之男命
相殿 -
境内社 稲荷神社、八幡神社
祭日 例祭日9月15日
住所 練馬区下石神井6-1-6
備考 -



下石神井天祖神社の由緒

天祖神社の創建年代は不詳ですが、延宝二年(一六七四)の庚申塔があることから、江戸時代初期には神明祠か伊勢の遥拝所があったのではないかといいます。

「練馬の神社」による下石神井天祖神社の由緒

由緒創立年代不詳。『新編武蔵風土記稿』下石神井村の項に「神明社持前(三宝寺)二同ジ。村ノ鎮守ナリ。」とあり、『東京府志料』下石神井村の項には「天祖神社八雲淡島ノ二神ヲ合祀ス社地二百四十九坪」と記される。江戸後期には神明社と呼ばれていたことがわかる。当社の創建は相当古く、江戸初期にはすでに存在したようで、『練馬区史(昭和三二年)』は次のように述べる。「…当社の付近に神明前と呼ばれる地名があり、社の前にある延宝二年(一六七四)の庚申塔には石神井郷神明村という村名が彫りつけてある故、古くからここに神明祠か伊勢の遥拝所があったと思われる。」と。社殿は明治一八年(一八八五)の建築である。
境内石造物では安政四年(一八五七)の燈籠が古い。その他、庚申塔(延宝二年)、廿三夜待供養塔(文化二二年・一八一六)、地蔵菩薩立像(享保二年・一七一七)、鳥居建設記念碑(大正二年)、慰霊碑(昭和四一年・戦没者三十五名)がある。また四個の力石がある。
樹木は少ないが、スダジィ、イチョウ、ケヤキ、カヤが太幹である。(「練馬の神社」より)

練馬区教育委員会掲示による下石神井天祖神社の由緒

当社の創建は詳らかではありませんが、江戸時代に編さんされた「新編武蔵風土記稿」には、「神明社、持前ニ同シ村ノ鎮守ナリ」とあり、明治七年(一八七四)刊行の「東京府志料」には「天祖神社 八雲淡島ノ二神ヲ合祀ス 社地二百四十九坪」と記されています。江戸時代には神明社と呼ばれていたようで、鳥居をくぐった右側に立つ庚申塔には「石神井郷神明村」とも刻まれています。現在の社殿は明治十八年(一八八五)の建築です。
境内には安政年間(一八五四〜六〇)の燈籠や享保二年(一七一七)の延命地蔵などの石像物があります。(練馬区教育委員会掲示より)

「東京都神社名鑑」による下石神井天祖神社の由緒

創立年代不詳。現社殿は明治十八年九月十八日竣工、鎮座地は下石神井一丁目旧称鍛冶屋敷地、丘続きに屋敷番・御倉番等字名があり、創建五百年との説もあるが不詳。参道前に丈余の常夜燈があり、安政四年丁己(一八五六)とあり、豊嶋氏上石神井地に居城のころ、城下地域として郷中一の中心集団地であったために小字・坂下・上久保・向三谷・伊保ヶ谷戸・原久保地の住民は当社を崇敬する。(「東京都神社名鑑」より)


下石神井天祖神社所蔵の文化財

  • 二十三夜待供養塔(練馬区登録文化財)

練馬区教育委員会掲示による下石神井天祖神社の由緒

地蔵と庚申塔の隣に立てられている角柱形の石造物です。正面に勢至菩薩と「廿三夜待供養 文化十三丙子年(一八一六)二月吉日建之」、右側面に「武州豊嶋郡石神井村」、台石には造立者名などが記されています。二十三夜待は月を拝み飲食を共にする月待ち行事です。区内でも二十三夜待が行われていたことをこの石造物は伝えています。(練馬区教育委員会掲示より)

下石神井天祖神社の周辺図

参考資料

  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
  • 「東京都神社名鑑」