厳島神社|練馬区石神井台の神社

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厳島神社|三宝寺池の中島に鎮座

厳島神社の概要

厳島神社は、練馬区石神井台にある神社です。厳島神社の創建年代等は不詳ながら。豊嶋氏が石神井在城中に創建したと推定され、江戸時代には、弁天社、水天宮として既に史料に残されています。明治41年、大正4年に近隣の字観音山の稲荷神社、字沼辺愛宕神社、字西村の御嶽神社を合祀、昭和58年に現在の社殿が竣工しました。

厳島神社
厳島神社の概要
社号 厳島神社
祭神 狭依姫命
相殿 香具槌命、倉稲魂命、国常立命
境内社 水神社(水波能売神)、穴弁天社(市杵嶋姫命)
住所 練馬区石神井台1-26
備考 -



厳島神社の由緒

厳島神社の創建年代等は不詳ながら。豊嶋氏が石神井在城中に創建したと推定され、江戸時代には、弁天社、水天宮として既に史料に残されています。明治41年、大正4年に近隣の字観音山の稲荷神社、字沼辺愛宕神社、字西村の御嶽神社を合祀、昭和58年に現在の社殿が竣工しました。

「練馬の神社」による厳島神社の由緒

創立年代等不詳。「新編武蔵風土記稿」上石神井村の項に「弁天社 三宝寺池ノ中島ニアリ。神楽堂」「水天宮 池ノ側ニアリ。」とある。弁天社は神仏分離後に厳島神社となる。水天宮は水神社である(当社から東へ50mほどの池畔にある小祠)。厳島神社は昭和56年から境内の護岸工事、57年には社殿の改築工事を始めて58年に鉄筋コンクリート造として竣工した。
南の丘の下に洞穴の祠があって穴弁天という。「北豊島郡誌」石神井村の項に「無格社厳島神社。大字上石神井字大門に在り、即ち三宝寺池畔の弁財天なり、石神井案内に曰く、池畔の洞窟、奥深き所には池霊の弁財天像を安置し里人相伝へて尊敬している。冒険の士は一把の松明を携へて暗黒裡陰風凄愴なる辺りに、池霊と相語るも亦快きことではないか」と記されている。雨乞いに際し、本殿に祀り祈願すると必ず雨が降ったという。 (中略)
相殿の祭神は明治41年、大正4年に近隣の稲荷神社、愛宕神社、御嶽神社を合祀したものである。(「練馬の神社」より)

「東京都神社名鑑」による厳島神社の由緒

創立年代不詳。『新編武蔵風土記稿』に寄れば、氷川神社の天神・天王・稲荷・弁天社は三宝池中島にあり、隣地氷川神社とともに豊嶋氏石神井在城中の創建と思われる。豊嶋氏隆盛時は、池霊弁財天と呼称し、弁天池といい、流出する小川も弁天川と呼び、往時池底より見いだしたと伝わる蛇体の女神弁財天を安置し、明治維新に至るまで三宝寺持であった。祭神は黒漆塗金縁仏像が御厨子内に奉安されていた。明治四十一年十月二十八日合祀許可を得、同年十二月十六日字観音山の稲荷神社、同月字西村の御嶽神社、同年九月同所字沼辺の稲荷神社、大正五年四月同所字小関の稲荷神社を合祀し、大正八年五月下石神井北有志寄贈の石鳥居一基建設、同十四年六月社殿・幣殿を改築、また同七年六月豊田銀右右衛門・栗原銀三石階段を寄贈、また木橋の架替をなす。(「東京都神社名鑑」より)


厳島神社の周辺図

参考資料

  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
  • 「東京都神社名鑑」