練馬白山神社|練馬区練馬の神社

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練馬白山神社|鎌倉時代創建

練馬白山神社の概要

練馬白山神社は、練馬区練馬にある白山神社です。練馬白山神社の創建年代等は不詳ながら、発掘された石碑等から鎌倉時代には周辺に集落があったことがわかることから、鎌倉時代には既に創建されいたのではないかといいます。

練馬白山神社
練馬白山神社の概要
社号 練馬白山神社
祭神 伊邪那美命
境内社 三社稲荷神社、三峯神社
相殿 -
祭日 例大祭9月9日
住所 練馬区練馬4-1-2
備考 -



練馬白山神社の由緒

練馬白山神社の創建年代等は不詳ながら、発掘された石碑等から鎌倉時代には周辺に集落があったことがわかることから、鎌倉時代には既に創建されいたのではないかといいます。

「練馬の神社」による練馬白山神社の由緒

「下練馬村御割付之写」に白山大権現とあり、同じ頃の「新編武蔵風土記稿」下練馬村の項には白山社とある。「北豊島郡誌」下練馬村の項は「[無格社 練馬白山神社]字谷戸山にあり、伊邪那美命を祀る。例祭10月9日、当日神輿渡御あり、境内に村芝居の催あるを例とせり」と記している。創立年代は不詳だが、社前に残る推定樹齢900年の大ケヤキから相当な古社と考えられる。
「北豊島郡誌」に言う。「・・・現存セル遺物又ハ天然物等ニヨリテ推定スルニ遠ク、源家ノ興隆時代ニ創立セラレタルモノナルコト創造ニ難カラズ。・・・尚古老ノ口碑ニヨレバ、往昔源義家奥州討伐ノ砌ニ、戦勝ノ祈願ヲコメ、欅笛ヲ奉納スルトコロアリタルガ、明治初年迄六本アリ同18年ニ至リテ、ソノ四本目ヲ伐採・・・又境内ニ隣接セル杉本方ニテ天保3年井ヲ開鑿シタルニ・・・一基ノ石碑ノ発掘セラレタルガソノ刻字ニ康安4年8月トアリ、ナホ同時ニ発掘セラレタル他ノ一基ニハ延文元年トアリタリト、当時当村ハ関東武士ガ鎌倉ニ往来スル途次ニアリテ既ニ一村ヲ形成シタリト云ヘバ、本社ハ弘安4年以前ニ勧請セラレタルモノタルヤ明ラカナリ」と。
鎌倉時代には周辺に集落があったと推定される。(「練馬の神社」より)

「東京都神社名鑑」による練馬白山神社の由緒

創建年代は明治初年祝融の災によって、由緒書および村内の記録等焼失して詳らかではないが、現存する遺物、また天然記念物等によって推定すると、遠く源家の興隆時代に創建されたものと思われる。すなわち今日なお石垣の上下に繁茂する二本の欅のうち、上のは目通り二丈六尺余、階下のは三丈余で、林学博士本多静六箸「古木名鑑』によれば、樹齢七百年より八百年を経た古木であると記載されている。古老の口碑によれば、往昔源義家奥州討伐のおりに、当社に戦勝を祈願、この欅を献植したと伝えられている。また隣接の杉本方にて、天保三年(一八三二)井戸を掘った時、同家の祖源頼兼が弘安四年(一二八一)に元冠の役戦勝を祈願して建立したと伝えられる、一基の石碑が発掘されたが、その刻字に弘安四年(一二八一)八月とあり、同時に出土した他の一基には延文元年(一三五六)とある。当時当地は関東武士が鎌倉に往来する途中にあって、すでに一村を形成していたと想えば、本社は弘安四年以前に勧請されていたのは明らかである。現在の社殿は明治初年のころの建築である。(「東京都神社名鑑」より)


練馬白山神社所蔵の文化財

  • 練馬練馬白山神社の大ケヤキ(日本国指定天然記念物)

練馬白山神社の周辺図

参考資料

  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
  • 「東京都神社名鑑」