乃木神社|明治天皇に殉死した陸軍大将乃木希典を祀る社
乃木神社の概要
乃木神社は、港区赤坂にある神社です。乃木神社は、日清戦争や日露戦争で活躍した陸軍大将乃木希典が明治天皇に殉じて自決、明治神宮が鎮座した後の大正12年乃木邸に創建、大正13年に府社に列格したといいます。
社号 | 乃木神社 |
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祭神 | 乃木希典命、乃木静子命 |
相殿 | - |
境内社 | 正松神社、赤坂王子稲荷神社 |
住所 | 港区赤坂8-11-27 |
備考 | 旧府社 |
乃木神社の由緒
乃木神社は、日清戦争や日露戦争で活躍した陸軍大将乃木希典が明治天皇に殉じて自決、明治神宮が鎮座した後の大正12年乃木邸に創建、大正13年に府社に列格したといいます。境内には恩師玉木文之進正韞命・吉田松陰命を祀った正松神社、王子稲荷神社より勧請した赤坂王子稲荷神社が鎮座しています。
「赤坂區史」による乃木神社の由緒
乃木神社(新坂町鎮座)
祭神乃木希典命
配祀夫人靜子命
大正元年、明治天皇御大葬の夜、神去りませる先帝に對し奉りて哀悼の情殊に深かつた陸軍大将伯爵乃木希典卿並に同靜子夫人は、轜車御發輦の時を以て殉死せられた。その際将軍は遺言して、新坂町なる自邸を東京市に寄附せられたので、時の東京市長男爵阪谷芳郎は、同志を糾合して中央乃木會を設立し、その事業として舊邸を保存し且つ将軍夫妻兩位が晩年を過されたこの由縁深い地域に兩位在天の英靈を祭つて、國民崇敬の社と爲すことを計畫した。
仍て大正八年三月、當社創建の事を申請し、五月八日これが許可を得たので、翌九年五月二十三日、舊邸の隣地を卜して、地鎮祭を行ひ、社殿造營の工を起し、同十二年十月三十一日、工事全く落成したので、翌十一月一日、神靈をこゝに鎮め奉つた。この夜一點の雲なく、星斗燦爛として、神靈の遷入を導き奉るが如く見えたが、式終るや、忽ち大雨沛然として下り、宮居を浄めたのであつた。
越えて大正十三年八月九日、府社に列せられ、官弊の奉献があつた。爾来四方の尊崇景仰日に月深きを加へ、神威年と共に赫々たるものがある。
當社の境内は一千三百二十五坪で、東、北、西の三方は密林を以て掩はれ、南方は開豁にして一帶の圜境靜邃浄、眞に棲靈の好地域である。その上東京市が隣地に經營した乃木公園もまた完成を告げ、なほ社域は舊江戸城虎の門の桝形の巨石を以て繞らした。かくて當社は今や舊乃木邸とともに、市内の一名跡と稱へられてゐるのである。(「赤坂區史」より)
東京都神社名鑑による乃木神社の由緒
摂社正松神社、末社赤坂王子稲荷神社、(境外)乃木神社函館分社
大正元年九月十三日、明治天皇崩御に殉じて乃木大将夫妻は自刃。この忠節に深く感銘した国民はその徳を慕い、乃木邸を訪づれその数は日に日に増していった。そこで翌大正二年男爵阪谷芳郎らが、広く国民有志を結集して中央乃木会を結成、乃木邸に祭神を鎮祭し祭儀を執行。また青年への研修などを行なって乃木精神の宣揚につとめた。大正五年立太子礼にあたり、皇室より正二位の追贈を受け、同八年神社創建が許可され、明治神宮の鎮座を期し御造営の事業が起こされた。大正十二年十一月一日鎮座祭を執行。(東京都神社名鑑より)
乃木神社の周辺図