堀切菖蒲園|葛飾区堀切の名所旧跡

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堀切菖蒲園|堀切菖蒲園公園・堀切菖蒲園

堀切菖蒲園の概要

堀切菖蒲園は、葛飾区堀切にある名所旧跡です。、堀切の花菖蒲栽培は、文化年間(1804~1817)堀切村の百姓伊左衛門(小高氏)が花菖蒲に興味を持ち、本所の旗本万年録三郎から「十二一重」を、花菖蒲の愛好家松平左金吾(菖翁)から「羽衣」「立田川」などの品種を乞い受け繁殖させたのが始まりといわれ、最初に小高園が開園、明治時代に入ると武蔵園・吉野園・堀切園・観花園などが開園したといいます。昭和年間初期には水質汚染が進行、また第二次世界大戦の影響により次々と閉園を余儀なくされ、昭和17年に小高園が閉園し堀切の花菖蒲栽培は一旦途絶えたものの、昭和28年には有限会社堀切菖蒲園が再開、昭和34年(1959)に有限会社堀切菖蒲園を東京都が買収し堀切菖蒲園が誕生、昭和50年4月には葛飾区に移管されて現在に至ります。

堀切菖蒲園
堀切菖蒲園
名所旧跡名 堀切菖蒲園
区分 葛飾区指定名勝
入場時間 -
入場料 -
住所 葛飾区堀切2-19-1
備考 -



堀切菖蒲園の案内

堀切の花菖蒲栽培は、文化年間(1804~1817)堀切村の百姓伊左衛門(小高氏)が花菖蒲に興味を持ち、本所の旗本万年録三郎から「十二一重」を、花菖蒲の愛好家松平左金吾(菖翁)から「羽衣」「立田川」などの品種を乞い受け繁殖させたのが始まりといわれ、最初に小高園が開園、明治時代に入ると武蔵園・吉野園・堀切園・観花園などが開園したといいます。昭和年間初期には水質汚染が進行、また第二次世界大戦の影響により次々と閉園を余儀なくされ、昭和17年に小高園が閉園し堀切の花菖蒲栽培は一旦途絶えたものの、昭和28年には有限会社堀切菖蒲園が再開、昭和34年(1959)に有限会社堀切菖蒲園を東京都が買収し堀切菖蒲園が誕生、昭和50年4月には葛飾区に移管されて現在に至ります。

境内掲示による堀切菖蒲園について

堀切菖蒲園
この地にはじめて花菖蒲が伝来したのはいつの頃か明らかではありませんが、一説によると、室町時代堀切村の地頭久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じて、奥州郡山の安積沼から花菖蒲を取り寄せて培養させたのが始まりとも、文化年間(1804~1817)堀切村の百姓伊左衛門(小高氏)が花菖蒲に興味を持ち、本所の旗本万年録三郎から「十二一重」を、花菖蒲の愛好家松平左金吾(菖翁)から「羽衣」「立田川」などの品種を乞い受け繁殖させたのが始まりとも言われています。
堀切で最初の菖蒲園は、江戸時代末期に開園した小高園で、明治に入ると武蔵園・吉野園・堀切園・観花園などの菖蒲園が開園しています。この堀切菖蒲園は堀切園の跡です。
堀切の花菖蒲の様子は「江戸百景」に数えられ、鈴木春信・安藤広重などの著名な浮世絵にも描かれています。また明治には「東京遊行記(明治39)「東京近郊名所図会(明治43)」などに次々と堀切の菖蒲園が紹介され、全盛期は明治中期から大正末期頃だと思われます。(葛飾区教育委員会掲示より)

境内掲示による堀切菖蒲園の歴史

「堀切菖蒲園」の歴史
東京の東部低地に位置する葛飾区一帯は、江戸試合に葛西三万石ともいわれる水田地帯で、稲作のほかに野菜類や花卉(草花)の栽培が盛んな地域でした。寛政6年(1794)の地誌『四神地名録』に「いろいろの草花かぎりもなき事」という記載がみられます。
堀切の花菖蒲伝来については、室町時代の地頭久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じて、奥州郡山の安積沼から持ち込んだのが起源という伝承があります。16世紀後半の『小田原衆所領役帳』に「窪寺」という名は見られますが、詳細は不明です。
記録に残る花菖蒲栽培の始まりは小高園の祖となる伊左衛門です。伊左衛門は父子二代にわたり、享和・文化年間(1801~1818)頃から各地の花菖蒲を収集したほか、花菖蒲愛好家で知られる旗本の松平左金吾定朝(菖翁)や、万年録三郎からも品種を入手し繁殖に努めました。
天保年間(1830~1844)になると、小高家の花菖蒲は諸大名や旗本の間え評判となります。嘉永元年(1848)には十二代将軍家慶と子の家定が鷹狩の際に立ち寄ったほか、尾張藩主徳川斉荘からは「日本一菖蒲」の画賛が贈られました。
また、初代広重などの絵師が堀切の花菖蒲を描いていることや、弘化3年(1846)に、「草花より穀物の栽培に専念すること、見物客に飲食物の提供をしない」という誓約書を代官所へ転出していることから、文人・墨客や江戸の庶民も堀切に押し寄せていたことがうかがえます。
明治維新を迎えると、幕末に日本で最初の観光花菖蒲園として開園した小高園・武蔵園に加えて、吉野園・堀切園・観花園が明治時代後期までに相次いで開園します。さらに昭和初期にかけて、四ツ木園・菖香園・(山岸)菖蒲園が開園、花菖蒲栽培農家も多数存在しました。昭和5年(1930)の日本花菖蒲協会設立時には、堀切の花菖蒲園関係者が会員の一割を占めていました。
しかし、都市化の進行に伴う水質汚染と第二次世界大戦下の影響が、花菖蒲園に及ぶようになります。昭和10年代にかけて武蔵園・吉野園などが閉園、戦争が激化すると、食糧難解消のために花菖蒲田は水田となっていきました。昭和17年(1942)の小高園の閉園により、堀切の花菖蒲栽培は一旦途絶えました。
終戦後、唯一復興した花菖蒲園が堀切園です。疎開させていた花菖蒲の株を植え戻し、昭和28年(1953)に有限会社堀切菖蒲園と名を改め営業を再開しました。その後、昭和34年(1959)に都が買収、翌年に都立堀切菖蒲園が誕生しました。当初は有料でしたが、昭和47年(1972)からは無料化されます。
そして昭和50年(1975)4月に葛飾区に移管、昭和52年(1977)には、葛飾区指定名勝に指定され、今日に至ります。現在、園内では役二百種六千株に及ぶ花菖蒲が栽培されており、その中には菖翁由来の菖翁花も含まれます。(葛飾区教育委員会掲示より)

堀切菖蒲園の周辺図


堀切菖蒲園の近隣にある名所