長泉院。南足柄市塚原にある曹洞宗寺院

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長泉院。岩原城主大森信濃守氏頼・実頼開基

長泉院の概要

曹洞宗寺院の長泉院は、玉峯山と号します。長泉院は、岩原城主大森信濃守氏頼(寄栖庵)の招請により、大寧和尚(文明2年1470年寂)が岩原薬師堂の地に清泉院と号して開山、大森信濃守氏頼の子息大森実頼(法名清泉院可安道印)が開基となり、当地へ移転させて長泉院と改号したといいます。大森氏廃絶後には、松田尾張守憲秀・小田原北條氏より寺領安堵を受け、徳川家康の関東入国後には代々小田原城主より寺領安堵状を受領していました。

長泉院
長泉院の概要
山号 玉峯山
院号 長泉院
寺号 -
本尊 釋迦牟尼佛像
住所 南足柄市塚原4440
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長泉院の縁起

長泉院は、岩原城主大森信濃守氏頼(寄栖庵)の招請により、大寧和尚(文明2年1470年寂)が岩原薬師堂の地に清泉院と号して開山、大森信濃守氏頼の子息大森実頼(法名清泉院可安道印)が開基となり、当地へ移転させて長泉院と改号したといいます。大森氏廃絶後には、松田尾張守憲秀・小田原北條氏より寺領安堵を受け、徳川家康の関東入国後には代々小田原城主より寺領安堵状を受領していました。

「南足柄市史」による長泉院の縁起

塚原村長泉院
同院を開基した大森実頼は、岩原城主大森信濃守氏頼の子息で、内大臣藤原冬嗣の子孫と伝えられている。開山した当初は「草庵を結」んだ程度のもので、開山大寧和尚は一寺を建立したいと考えていたが、病身だったため、弟子の章山和尚にその志を託した。章山和尚は急ぎ普請を進めたが、師大寧和尚は文明三年一二月に入寂し、その後に本堂が完成した。そのころ、大森実頼が長泉院を菩提所にしたという。
同院は北条氏政から朱印状を与えられ、氏政自身も菩提所とした。彼が天正一八年(一五九〇)七月に小田原城で切腹させられると、長泉院はその位牌を安置し、菩提を弔ったと伝えられている。一方、小田原北条氏を滅亡させた秀吉は、氏政が長泉院に与えた朱印状を見て、「是は氏政の朱印なり、用ゆる事なかれ」と言って捨てたという。そして、新たに加増の朱印を与え、「山林竹木、殺生禁断等の制札」も発した。その後、小田原城主となった大久保忠世は、重臣の後藤弥次兵衛真成を通して寺領六俵分と寺内・門前・山林を安堵し、その子忠隣は山林境の手形を与えた。しかし、慶長年中の火災で、これらの朱印状や制札などは焼失してしまったという(『風土記稿』)。さらに、稲葉正則は慶安二年(一六四九)に二八石二斗余りと山林竹木を長泉院に安堵し、天和二年(一六八二)にはそれを追認する安堵状を発している。塚原村にある保徳寺長円寺は長泉院の末寺であるが、二寺の詳細は明らかでない。(「南足柄市史」より)

新編相模國風土記稿による長泉院の縁起

(塚原村)
玉峯山と號す、曹洞宗、(津久井縣根小屋村功雲寺末、)文明二年の起立にて、開山は大寧、(文明二年十二月十三日寂す、)開基は大森八郎實賴(法名清泉院可安道印、文明十八年十月十九日卒、)なり、按ずるに岩原村古城略記(同村里正所蔵)に據れば、往昔大森寄栖庵・僧實山を請て岩原村薬師堂(今猶あり、)の地に一寺を起立し、清泉院と號す、文明二年大森實賴當所廢寺蹟(東明山と號せしと云)を闢き此に移して再建し、今の山院號に改むと云、(注釈を読む)
北條氏康の時、松田尾張守憲秀山林禁制の制札を附與あり、(注釈を読む)
永禄九年憲秀より板谷ヶ窪一貫五百文の地を寄附す、(註釈省略)
天正十八年正月松田尾張守憲秀板屋ヶ窪の地、先規の如く寄附ある旨、及び山林禁制の證状を授與し、(註釈省略)
三月又郡中中沼村にて寺領を寄附す、(註釈省略)
五月小田原陣により、寺僧門前の輩安堵の旨、増田右衛門尉長盛奉りて下知す、(註釈省略)
十九年三月大久保七郎右衛門忠世、家臣をして山林不入及四至の界域を定め、(註釈省略)
文禄元年又寺領安堵の證状を與ふ、(註釈省略)
慶長六年又板屋ヶ窪の地、所務あるべき旨、大久保忠隣の臣證状を授與す、(註釈省略)
某年大久保忠隣村内に放鷹し當寺を休息所とす、其時椀折敷十具を寄納す、(今に蔵せり)十五年三月當寺は宗派の正嫡にて且古蹟たる故郷中の緒寺違亂の事有まじき旨關本村最乗寺より證書を送り、(注釈を読む)
七月本寺よりも證書を送れり、(注釈を読む)
十九年二月安藤對島守重信、山内の林採取まじき由掟を定む、(所蔵文書下同、)
慶安二年稲葉美濃守正則より、先規の如く寺領(廿八石二斗七升三合)を寄附し、天和二年證状を授與す、貞享四年四月大久保加賀守忠朝より、山内の制札を與ふ、本尊釋迦を置又正觀音(往古の本尊なりと云、長六寸、聖徳太子作、)を安ず、
【寺寶】
△桂杖一握(大久保七郎右衛門忠世、小田原陣の時分捕せし鎗の柄なりと云、青貝柄にて長六尺四寸、小身跡あり、徑一寸一分太刀疵三所、六世僧養山へ、忠世より與へしものと云、)
△古文書六通(前に註記す、)
△開山堂。大森氏代々の牌あり、
△鐘樓。寛永八年の鑄鐘を掛、
△黄色権現社。境内地主守と云例祭三月十日、拝殿・幣殿あり、
△龍門橋。門前の小流に架す、(長七間)(新編相模國風土記稿より)


長泉院所蔵の文化財

  • センペルセコイヤの大木(南足柄市指定天然記念物)

長泉院の周辺図


参考資料

  • 新編相模國風土記稿
  • 「南足柄市史」