明福寺|江戸川区江戸川にある浄土宗寺院

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天川山明福寺|親鸞聖人が袈裟を掛けたというけさ掛の松

明福寺の概要

浄土宗寺院の明福寺は、天川山寂光院と号します。明福寺は、嘉禄2年(1226)親鸞聖人が常陸国笠間郡から上洛の途中、この地の人々が昇天に苦しんでいたので、雨乞いをにより雨を降らせて村人を救ったのが縁となって、草庵を結んだのがはじまりといわれており、本堂の裏には雨乞いをした鏡が池と親鸞聖人が袈裟を掛けたというけさ掛の松(二代目)があります。鎌倉幕府滅亡後の戦乱で荒廃したものの、浄土宗鎮西派の沙門徳誉笈公が文明年間(1469-1487)に浄土宗寺院として再興したといいます。木造親鸞聖人坐像、木造聖徳太子立像等文化財を所蔵しています。

明福寺
天川山明福寺の概要
山号 天川山
院号 寂光院
寺号 明福寺
住所 江戸川区江戸川3-8-1
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 明福寺ルンビニー幼稚園



明福寺の縁起

明福寺は、嘉禄2年(1226)親鸞聖人が常陸国笠間郡から上洛の途中、この地の人々が昇天に苦しんでいたので、雨乞いにより雨を降らせて村人を救ったのが縁となって、草庵を結んだのがはじまりといわれており、本堂の裏には雨乞いをした鏡が池と親鸞聖人が袈裟を掛けたというけさ掛の松(二代目)があります。鎌倉幕府滅亡後の戦乱で荒廃したものの、浄土宗鎮西派の沙門徳誉笈公が文明年間(1469-1487)に浄土宗寺院として再興したといいます。

江戸川区教育委員会掲示による明福寺の縁起

浄土宗で天川山寂光院と号し、阿弥陀如来を祀っています。縁起によると嘉禄2年(1226)親鸞聖人が常陸国笠間郡から上洛の途中、この地の人々が昇天に苦しんでいたので、雨乞いをし、雨を降らせて村人を救ったのが縁となって、草庵を結んだのがはじまりといわれています。
本堂の裏、雨乞いをしたという所に「鏡が池」と「けさ掛けの松」があります。この池は聖人が自らの像を彫るため、御姿を写したともいわれ、また、この松は聖人がけさを掛けたともいわれていましたが、昭和24年の台風で倒れ、今は二代目の松が植えられています。(江戸川区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による明福寺の縁起

(下鎌田村)明福寺
浄土宗、上今井村金蔵寺末。天川山寂光院と号す。当寺は親鸞の旧跡にて、今も二十四輩願詣の地なり。縁起によるに、親鸞常陸国笠間郡稲田と云処に隠棲し、嘉禄2年の初帰洛の意ありて庵室を出、同き6月当地に来り、炎暑堪えたければ池邊の柳陰にしばらく疲労をいこひしが、たまたま老翁の勧に應して雨を祈りしに、不思議や霊験ありて、空かき曇り雷雨軸を流せしかば、萬民喜悦の思をなせり。日も既に暮て親鸞かの樹陰に暫しまどろむ処に、さきの老翁とみしはこの林中の毘沙門なることを夢む。覚て後果て林中に毘沙門堂ありしかば、則其傍に草庵を結び、所持せる処の聖徳太子自作の像を安置し、住すること三年にして安貞2年の春帰洛し、猶遺蹟は相続してありしに、其後数度の兵乱に遇て潰廃せしを、文明年中鎮西派の沙門徳誉笈公ここに来り、廃れたるを興し今の宗派に改むと云。よりて今笈公を開山となせり。本尊阿弥陀を置。
寺寶。
三尊阿弥陀画像二幅、恵心の筆なり。
太子堂、聖徳太子自作の尊像なり。長3尺、傍に毘沙門観音の二体を安ず。毘沙門は慈覚大師の作なり。
堂、親鸞自作の坐像を安ず。長2尺5寸。
鏡ヶ池、親鸞自ら真影を彫刻する時、此池に影を写して刻めり。故に此名あり。
袈裟掛松。親鸞此松に袈裟を掛しゆへ此名あり。古木は枯て植つきしものなり。(新編武蔵風土記稿より)

「江戸川区史」による明福寺の縁起

明福寺(江戸川三丁目八番地一号)
浄土宗に属し天川山寂光院という。もとは金蔵寺の末であった。本尊に阿弥陀如来をまつる。縁起によると、嘉禄二年のこと親鸞上人が常陸の笠間から上洛のためこの地を通りかかり、炎暑の疲れを休めていた時、老翁の頼みに応じて雨乞いの祈願をして日照り続きの被害を救った。その夜木陰にまどろんでいると、さきの老翁は毘沙門天であることを夢に見たが、果して林の中に毘沙門堂があったので、そのかたわらに草庵を結び、所持していた聖徳太子自作の像を祭ったのが始まりであるという。上人は三年の間この地に住み、安貞二年の春帰洛したといわれる。当山はその後兵乱によって荒れ果てたが、文明年中に沙門徳誉笈公によって中興した。
本堂前の太子堂には聖徳太子自作という尊像を安置し、親鸞堂には親鸞作という像をまつる。堂裏の鏡ヶ池とけさ掛松は親鸞上人の遺跡と伝えられている。また子育観音をまつる小堂は「佃観音」(鎌田観音)ともいわれるが、詳細は史跡と名所の項に記載した。(「江戸川区史」より)

明福寺所蔵の文化財

  • 木造親鸞聖人坐像(江戸川区指定有形文化財)
  • 木造聖徳太子立像(江戸川区登録有形文化財)

木造親鸞聖人坐像

本堂に向って右側手前、親鸞堂に安置されています。親鸞聖人自らの手になる像と伝えられますが、鎌倉から南北朝時代にかけての作と考えられる寄木造り、墨色塗の古作です。ほぼ等身大の坐像で、高僧親鸞の面影を写実的な技法であらわした優れた彫刻です。(江戸川区教育委員会掲示より)

木造聖徳太子立像

太子堂の尊像として信仰され聖徳太子自作の伝承がある立像です。像高117cm、等身大の像として都内でも有数の太子像です。(江戸川区教育委員会掲示より)

明福寺の周辺図