満足稲荷神社|文京区千駄木の神社

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満足稲荷神社|文京区千駄木の神社

満足稲荷神社の概要

満足稲荷神社は、文京区千駄木にある神社です。満足稲荷神社は、明和4年(1767)正月、当地住民が京都伏見稲荷本宮より、宮司羽倉摂津守信郷から御神体を授かり、当地に勧請鎮座したといいます。当地は江戸時代には上野寛永寺領内で、輪王寺の御薪林で、東山とも呼ばれていたころから、東山稲荷とも称される他、豊臣秀吉が伏見稲荷を伏見桃山城に勧請してから幸運に恵まれて”満足”を呼称したため、満足稲荷と称されるようになったといいます。

満足稲荷神社
満足稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
住所 文京区千駄木5-2-8
祭日 -
備考 -



満足稲荷神社の由緒

満足稲荷神社は、明和4年(1767)正月、当地住民が京都伏見稲荷本宮より、宮司羽倉摂津守信郷から御神体を授かり、当地に勧請鎮座したといいます。当地は江戸時代には上野寛永寺領内で、輪王寺の御薪林で、東山とも呼ばれていたころから、東山稲荷とも称される他、豊臣秀吉が伏見稲荷を伏見桃山城に勧請してから幸運に恵まれて”満足”を呼称したため、満足稲荷と称されるようになったといいます。

「本郷區史」による満足稲荷神社の由緒

稲荷神社
駒込林町六十番地に在る無格社で俗に東山稲荷と稱し、保倉神を祭神とする。
稲荷神社(満足稲荷神社)
同町五十九番地に在る無格社で俗に西山稲荷と稱する。祭神同上。 (「文京區史」より)

東京都神社名鑑による満足稲荷神社の由緒

明和四年(一七六七)正月に当所の東叡山御薪林の住民が、京都伏見稲荷本宮より、祠官羽倉摂津守信郷から御神体を授かり、当地に記り、神明宮の境外末社としたのがはじめである。(東京都神社名鑑より)

文京区教育委員会掲示による満足稲荷神社の由緒

満足稲荷神社
この稲荷神社は通称”満足稲荷”とか”東山稲荷”と呼ばれている。祭神は稲をつかさどる神、倉稲魂命である。江戸時代、当地は上野寛永寺領内、輪王寺の御薪林で、東山と呼ばれていた。明和4年(1767)正月、御薪林の住民が京都伏見稲荷本宮より、宮司羽倉摂津守信郷から御神体を授かり、当地に勧請鎮座したのがこの社のおこりである。
満足稲荷と呼ばれたのは、豊臣秀吉が文禄年間(1592-1596)、伏見桃山城に守護神として、伏見稲荷を鎮座してから幸運に恵まれ、”満足”、”満足”と呼称した故事による。たび重なる戦災、自然災害で、社殿の破損が進んだため、町内の崇敬者により、昭和27年(1952)今日のような社殿が造営復興された。神社には、高村光雲作の神輿や江戸期の絵馬などが保存され、境内も江戸の面影を今日に伝えている。(文京区教育委員会掲示より)


満足稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 「本郷區史」
  • 東京都神社名鑑