皿沼不動永昌院|足立区鹿浜にある天台宗系単立寺院

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皿沼不動永昌院|関東三十六不動、荒綾八十八ヶ所

皿沼不動永昌院の概要

天台宗系単立寺院の皿沼不動永昌院は、皿沼山と号します。になった江戸時代中期ころに不動尊を勧請したと伝えられます。修験道出身の明善が慶応3年(1867)に創建、明治維新後に晋卜和尚が天台宗寺門派寺院として中興したといいます。関東三十六不動25番札所、荒綾八十八ヶ所霊場59番札所です。

皿沼不動永昌院
皿沼不動永昌院の概要
山号 皿沼山
院号 永昌院
寺号 -
住所 足立区皿沼1-4-2
本尊 -
宗派 天台宗系単立
葬儀・墓地 皿沼不動永昌院院星霊廟
備考 関東三十六不動25番札所、荒綾八十八ヶ所霊場59番札所



皿沼不動永昌院の縁起

皿沼不動永昌院の創建年代等は不詳ながら、寶蔵寺の墓域を管理する御堂として草創、成田山不動尊の信仰が盛んになった江戸時代中期ころに不動尊を勧請したと伝えられます。修験道出身の明善が慶応3年(1867)に創建、明治維新後に晋卜和尚が天台宗寺門派寺院として中興したといいます。

「足立区風土記資料寺院明細」による皿沼不動永昌院の縁起

聖護院末 東京府管轄武蔵国足立郡皿沼村 皿沼不動永昌院。
慶応3年11月、創立開祖明善
第初世住職明善、47歳。埼玉県管轄武蔵国足立郡中尾村修験玉林院賢義法弟、慶応2年2月於同坊得度、慶応3年11月住職。以上修験一人。家族一人。
檀家63軒(「足立区風土記資料寺院明細」より)

「足立区仏教会その歩みと名鑑」による皿沼不動永昌院の縁起

荒川の東畔に位置する皿沼の辺りは、江戸時代は幕府の直轄で、舎人領と呼ばれていましたが、寛永2年(1625)東叡山寛永寺が草創された折、鹿浜村から皿沼の一帯が寺領として寛永寺に寄進され、これを期に多くの寺院がこのあたりに次々と創建されました。永昌院の濫觴も又、この時期とみられます。当時は阿弥陀仏の念仏講を中心に発展し鎮守神に稲荷社を勧請していましたが、巷に成田不応の信仰が拡まった時期には講社を組んで成田山に詣で御前立不動明王を勧請したと寺伝されています。
明治になり時の住持、晋卜和尚が不動尊の祈願を以って寺格の再興を図りました。晋卜和尚は元元、修験者として峯を駆け聖護院流を体得していましたが、後に天台宗寺門派に属し、二世令信和尚の代に千年の歴史と格式を誇る円満院門跡の寺中寺院となり今日に至っています。
令信和尚はこの間、阿弥陀堂を再建し、併せて円満院より秘仏の地蔵尊の分霊を迎えるなど、諸霊安養の供養を日々営んできました。
近年になり現在の永昌院三世信央和尚により、三心殿(現在の本殿)が竣工しましたがこの時、一大祈願を発して日本で最大級の不動明王像が勧請され、信者の心の迷いや欲望、災難の種を焼きつくす有難いお不動さまとして日々、仏さまの教えを人々に説き続けています。(「足立区仏教会その歩みと名鑑」より)

皿沼不動永昌院の周辺図