西光寺|足立区保木間にある浄土宗寺院

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郭鴻山西光寺|荒綾八十八ヶ所

西光寺の概要

浄土宗寺院の西光寺は、郭鴻山彩雲院西光寺と号します。西光寺は、長誉上人(文安3年1446寂)が永享6年(1434)に創建したといいます。当寺境内には不動尊像が祀られており、江戸時代には成田山参詣者の休憩所としてにぎわったそうです。荒綾八十八ヶ所霊場掛番所です。

西光寺
西光寺の概要
山号 郭鴻山
院号 彩雲院
寺号 西光寺
住所 足立区保木間4-38-2
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 荒綾八十八ヶ所霊場掛番所



西光寺の縁起

西光寺は、長誉上人(文安3年1446寂)が永享6年(1434)に創建したといいます。当寺境内には不動尊像が祀られており、江戸時代には成田山参詣者の休憩所としてにぎわったそうです。

境内掲示による西光寺の縁起

西光寺
当寺は浄土宗を宗旨とし、郭鴻山彩雲院西光寺と号す。永享六年(一四三四)、長誉宗善上人の開山と伝えられる。
境内の不動堂には、平安時代の高僧智證大師作と伝えられる不動尊像が、本堂には運慶作と伝えられる阿弥陀如来像が安置されている。門前左側には、万延元年(一八六〇)造立の「成田山これより十六里」の道標がある。これは成田山参詣の道しるべであり、当時は休憩所としても賑わったという。
また、当寺には足立区有形文化財に登録されている「紙本着色当麻曼荼羅図」が所蔵されている。当図は文政五年(一八二二)、保木間村の石井市左衛門が次男深川霊厳寺二十六世住職桂誉上人を通じて、父親の四十三回忌に際し、西光寺に寄進したものである。精緻な描写と表現様式に江戸中期の当麻曼荼羅図の特色が表れている。(足立区教育委員会掲示より)

足立区仏教会資料による西光寺の縁起

西光寺は、長誉上人によって建てられた。いまから550余年前のことであるが、この間、戦火により焼失したことがある。
宗派は浄土宗、法然上人のおしえを守り伝えている。本尊は阿弥陀佛で、運慶の作といわれている。阿弥陀佛は西方極楽浄土におられ、南無阿弥陀仏ととなえればだれでも極楽浄土へみちびいてくださる仏さまである。
境内に不動堂があり、不動尊が安置され、平安時代の高僧智證大師の作といわれ、千年以上もむかしに作られたもの。門前の左前にある道標は、正面に不動明王を彫り、「成田山これより16里、榎戸迄20丁、大鳥之20丁」と書かれている。江戸の末期、万延元年(1860)11月に作られたもので、当時、成田詣での道しるべ、休憩所としてにぎわったといわれる。

足立風土記資料寺院明細による西光寺の縁起

本寺浄国寺末 東京府管轄武蔵国足立郡保木間村 郭鴻山西光寺
文安3年長誉宗善創建、余不詳。
穎厳。愛知県下知多郡大府村広瀬甚12男、天保10年同村石浜村明徳寺ニ於テ得度、万延元年住職。
境内、2畝20歩、但年貢地。檀家、60軒。

新編武蔵風土記稿による西光寺の縁起

(保木間村)西光寺
浄土宗、埼玉郡加倉村浄國寺の末、郭鴻山紫雲院と號す、開山長誉宗善、文安三年三月十三日寂す、本尊弥陀運慶の作なりといふ。(新編武蔵風土記稿より)

西光寺の周辺図