興野西庚申堂|足立区興野にある名所旧跡

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興野西庚申堂|荒綾八十八ヶ所霊場

興野西庚申堂の概要

興野西庚申堂は、足立区興野にある名所旧跡です。興野西庚申堂は、三基の石造物を保存している堂宇で、石造物のうちの二基は庚申塔です。寛文10年(1670)銘の庚申塔には三猿と講員の名が、正徳4年(1714)銘の庚申塔には青面金剛が彫られ、いずれも足立区有形文化財に登録されています。

興野西庚申堂
興野西庚申堂の概要
名称 興野西庚申堂
みどころ 史跡
入場時間 -
入場料 無料
住所 足立区興野2-30-50
備考 -



興野西庚申堂の案内

興野西庚申堂は、三基の石造物を保存している堂宇で、石造物のうちの二基は庚申塔です。寛文10年(1670)銘の庚申塔には三猿と講員の名が、正徳4年(1714)銘の庚申塔には青面金剛が彫られ、いずれも足立区有形文化財に登録されています。

足立区教育委員会掲示による興野西庚申堂の案内

庚申塔(寛文十年銘・正徳四年銘)
三基並んだ石造物のうち、右端と中央の石塔は庚申塔と呼ばれるものである。
庚申塔は、わが国で平安時代以来盛んになった庚申信仰に基づいて造立された。この信仰は中国の道教の考えから発生し、六十日でひと回りする十干十二支の「庚申(かのえさる)」の日の夜、寝入ると体内に宿る三尸(さんし)という虫が天に昇りその人の日頃の悪事を天帝に告げて死に至るので、徹夜して三尸が抜け出るのを防ぎ長寿を祈るという俗信である。時代が下ると地域の中で講をつくり、順番に宿を決め夜通し娯楽に興じることが主な目的になった。講員は数年ごとに供養のために、庚申塔を造立した。
庚申塔には様々な形式がある。寛文十年(一六七〇)に造立された右の塔には、中ほどに三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)が陽刻されている。その下には、十名の講員の名が彫られている。中央の塔は、左側面に正徳四年(一七一四)の年号が刻まれている。塔の中央には青面金剛が、邪気を踏み付ける姿が表現されている。この塔は、十三名の講員が見えている。なお基礎石に三猿が刻まれている。
かつて足立区周辺では庚申講が盛んで、現在でも多くの庚申塔が残されている。二基の塔は江戸時代のこの地域でも、この習俗が行われていたことを示す文化財である。(足立区教育委員会掲示より)

興野西庚申堂の周辺図