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鬼子母神堂|豊島区雑司ヶ谷にある日蓮宗寺院

鬼子母神堂の概要

鬼子母神堂は、法明寺の境外仏堂です。鬼子母神堂は、永禄4年(1561)1月16日に山村丹右衛門が清土(文京区目白台:現清土鬼子母神堂)で発掘した鬼子母神像を、稲荷社のあった当地に村民が天正6年(1576)堂宇を建立、松平安藝守光晟(室法名自昌院英心日妙)の寄進により本殿を建立、雑司ヶ谷村の鎮守だったといいます。入谷鬼子母神真源寺、中山法華経寺とともに江戸三大鬼子母神として多くの崇敬を集めています。

鬼子母神堂
鬼子母神堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 鬼子母神堂
住所 豊島区雑司ヶ谷3-15-20
勧請仏 木像鬼子母像
宗派 日蓮宗
備考 雑司が谷七福神の大黒天


※御朱印画像はいけみずさんよりの寄贈


鬼子母神堂の縁起

鬼子母神堂は、永禄4年(1561)1月16日に山村丹右衛門が清土(文京区目白台:現清土鬼子母神堂)で発掘した鬼子母神像を、稲荷社のあった当地に村民が天正6年(1576)堂宇を建立、松平安藝守光晟(室法名自昌院英心日妙)の寄進により本殿を建立、雑司ヶ谷村の鎮守だったといいます。

「豊島の寺院」による鬼子母神堂の縁起

永禄4年(1561)1月16日、雑司の役にあった柳下若狭守の家臣、山村丹右衛門が清土(文京区目白台:現清土鬼子母神堂)の星の井より鬼子母神像を発掘、東陽坊(のちに大行院と改称、現在法明寺に合併)に納めた。その後、その霊験顕著なことから信仰が盛んとなり、天正6年(1576)に村民が当時「稲荷の森」と称した現在の地を切り開き、堂宇を建立。寛文6年(1666)には松平安芸守光晟の室自昌院殿の寄進により本殿を建立(現存)、天明8年(1788)には、本殿背面に妙見宮が建立された。
大正12年、関東大震災により屋根瓦等を破損したが復興、昭和54年、日蓮聖人七百遠忌慶讃記念事業として「昭和大修理」に着手、東京都の補助をうけて解体復元の修理を行い現在に至っている。(「豊島の寺院」より)

文京区史跡さんぽによる鬼子母神堂の縁起

台東区入谷と同じくツのない「鬼」の字を用いるのが雑司が谷鬼子母神である。本坊は「法明寺」である。
鬼子母神の由来は、永禄4年(1561)の鬼子母神出現に始まったと伝えられ、「新編武蔵風土記稿」などによれば、初めは法明寺の塔頭東陽坊(のち大行院と改称)が別当で、長く庶民の信仰を集め”子授け、安産祈願”の対象であった。江戸後期には将軍の御成りもあり、大いに繁昌した。(文京区史跡さんぽより)

新編武蔵風土記稿による鬼子母神堂の縁起

(雑司ヶ谷村)鬼子母神社
村の鎮守なり、圓満具足神大黒天を配祀せり、相傳ふ當社造立の由来は、永禄四年五月村民丹右衛門と云もの、村内小名清土の畑中より一の佛像を掘出し地主柳下某かもとへ持行てかくと告げるに、佛像なれば法明寺々中東陽坊へ納め然へしとて彼坊に安置せり、其後安房國の旅僧来て彼像を奪去しに、歸國の後狂亂して云、我は是雑司ヶ谷の鬼子母神なり、いかてか此地に移るへき、急き舊地に復すへしとなり、よつて其由を懺悔して東陽坊へ返せしより、僧俗ともに参詣するもの多し、斯て天正六年四月今本地堂と唱ふる稲荷の社地へ假初の社を營み安置せり、其時の棟札今に蔵す左の如し。
其後寛文六年、松平安藝守光晟の室法名自昌院英心日妙か寄進にて、今の如く客殿拝殿等新に造營ありしより世に聞ふる靈地となれり、毎年正月十六日奉射祭の式あり、又近き年まて六月草薙の祭と云もありしか今は廢せり、十月八日より十八日迄は日蓮影供の會式なれば参詣の人群集しいと賑はへり、法明寺寺中大行院持。
末社稲荷社。弘治年中の勧請にて別に除地を附す、天正年中始て鬼子母神を此社地へ祀る故に、當社を土人は本地堂と唱ふ、因て有徳院殿御成の時は必當社へ成らせられ、夫より鬼子母神へ御立寄ありしと云。
鷲明神社。痘瘡守護神なり、祭神瓊瓊杵尊、正徳年中の勧請と云、神體は一寸五分許の白茶色の小石なり。
妙見社。
石像仁王。
銀杏樹。楠正成關東下向の時此所に松銀杏の二樹を植しが、今は此の銀杏のみ殘ると雖、幹は枯れて蘖なりと寺傳に記せり。
門前町屋。間口六十四間、歩數七百五十七、延享二年町奉行支配となる。(新編武蔵風土記稿より)


鬼子母神堂所蔵の文化財

  • 法明寺鬼子母神堂本殿(都指定文化財)
  • 板絵着色大森彦七図(都指定文化財)
  • 板絵着色三人静白拍子図(都指定文化財)
  • 鬼子母神大門ケヤキ並木(都指定天然記念物)
  • 大公孫樹(都指定天然記念物)

法明寺鬼子母神堂

「新編武蔵風土記稿」によると建立は天正6年(1578)5月3日であるが、そののち寛文4年(1664)松平安芸守光晟の室、法名自昌院英心に地妙大姉が寄進して、今の本殿を造営した。
拝殿と幣殿(相の間)は元禄13年(1700)に建立されたことが、昭和51年におこなわれた昭和大修理において発見された墨書や銘文によって確認されている。
本殿は桁行6.04m、梁間5.77m、一重、流造、桧皮葺形銅板葺。拝殿は桁行17.86m、梁間11.816m、一重、入母屋造、厨子は一間厨子、入母屋造、軒唐破風附本瓦形板葺。(東京都教育委員会掲示より)

鬼子母神堂の周辺図




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