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最勝寺|新宿区上落合にある真言宗豊山派寺院

最勝寺の概要

真言宗豊山派寺院の最勝寺は、高天山大徳院と号します。最勝寺の創建年代は不詳ながら、江戸時代には中井御霊神社、下落合東山藤稲荷神社の別当寺を勤めていました。明治初年に廃寺となった内藤新宿花園神社の別当寺三光院の大師堂(御府内八十八ヶ所霊場24番札所)を吸収しています。

最勝寺
最勝寺の概要
山号 高天山
院号 大徳院
寺号 最勝寺
住所 新宿区上落合3-4-12
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 最勝寺檀信徒会館
備考 御府内八十八ヶ所霊場24番札所、中井御霊神社東山藤稲荷神社のもと別当



最勝寺の縁起

最勝寺の創建年代は不詳ながら江戸時代には中井御霊神社、下落合東山藤稲荷神社の別当寺を勤めていました。明治初年に廃寺となった内藤新宿花園神社の別当寺三光院の大師堂(御府内八十八ヶ所霊場24番札所)を吸収しています。

新宿区の文化財による最勝寺の縁起

真言宗豊山派の寺院で、高天山大徳院最勝寺という。創建時期や開基は不明であるが、江戸時代には中井御霊神社、下落合東山藤稲荷神社の別当寺であった。
山手通りの最勝寺の塀際には、弘法大師の石標が二基立っているが、いずれも道標である。きれいな方が古く安政5年(1858)9月に建てられたもので、正面は大きな「弘法大師24番」の文字の両脇に「御府内八十八ヶ所」「土佐国東寺写」と刻んである。当寺は御府内八十八ヶ所霊場の第24番札所にあたる。
御府内八十八ヶ所とは、四国の弘法大師霊場八十八ヶ所になぞらえて、江戸市内の真言宗寺院を特定したもので、新宿区内に12ヶ寺ある。これは台東区の16ヶ寺、港区の13ヶ寺についで三番目に多い。開創者は弁天町多聞院に墓のある正等和尚(1703-1774)で、その時期は宝暦年中(1751-1764)であるといわれている。港区高輪の高野山東京別院を起点とする巡拝順番がきまり、江戸の町にお遍路姿が見られ、ご詠歌の声が聞かれるようになったのがその頃なのである。
さて最勝寺石標の左側面には「従是四谷北町和光院ニ11町」、右側面には「従是新町多聞院ニ1町」とある。これは、かつて内藤新宿花園神社の別当寺であった三光院にあったもので、明治初年に三光院が廃寺になった際、その大師堂が最勝寺に移された時、一緒に移ったと思われる。すなわち、石標に見える多聞院は角筈にあった第3番の札所(世田谷区北烏山に移転)、和光院は愛住町にあった第25番の札所(現・日野市程ヶ久保の長楽寺)であり、石標に記された距離は三光院のあった三光町からのものなのである。石標の裏面には、家内安全を祈ってこれを立てた願主5名の名が刻まれ、そこに「当所仲町」とあるが、この仲町というのは三光町の近く、今の四谷三丁目あたりの町名である。
他の1基、磨滅した石標は明治28年9月に建てられたもので、右側面に「右新井薬師(新井薬師梅照院) 新高野山」、左側面に「左中野宝仙寺 上落合福宝軒支店」とあるから、現在地に移転してからのものであることがわかる。(新宿区の文化財より)

新編武蔵風土記稿による最勝寺の縁起

最勝寺
同宗同末(新義真言宗多摩郡中野村宝仙寺末)西方山安養院と号す。本尊弥陀。
地蔵堂。(新編武蔵風土記稿より)


最勝寺の周辺図




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