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多聞院|世田谷区北烏山にある真言宗豊山派寺院

多聞院の概要

真言宗豊山派寺院の多聞院は、金剛山悲願寺と号します。多聞院は、述誉上人が開山、村内名主傳右衛門先祖與兵衛(法名天雪舊満)が開基となり寛永5年(1628)新宿角筈村に創建、昭和30年当地へ移転したといいます。御府内八十八ヶ所霊場3番札所、玉川八十八ヶ所霊場44番札所です

多聞院
多聞院の概要
山号 金剛山
院号 多聞院
寺号 悲願寺
住所 世田谷区北烏山4-12-1
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 御府内八十八ヶ所霊場3番札所、玉川八十八ヶ所霊場44番札所



多聞院の縁起

多聞院は、述誉上人が開山、村内名主傳右衛門先祖與兵衛(法名天雪舊満)が開基となり寛永5年(1628)新宿角筈村に創建、昭和30年当地へ移転したといいます。

せたがや社寺と史跡による多聞院の縁起

金剛山多聞院悲願寺と号す。真言宗豊山派に属する寺院で、本尊は地蔵菩薩である。寛永5年に述誉上人の開基になる寺で、新宿角筈村がその創建の地である。つまり江戸初期より昭和まで、度々の震災・戦災に遭遇しながらもなお新宿の地に止まっていたが、昭和30年、飛躍的に拡大発展する新宿の近代化にともない、現在地に移転したものである。
なお、開山に当たっては、角筈村名主・渡辺与兵衛の絶大なる後援を得て寺地が定まり、堂宇が建てられ、布教の実を挙げたことは寺伝にくわしい。
特記すべきものとして、天保8年の大飢饉に際して、寺の献身的な活動をものがたる、「飢人過去帳」がある。つまり568人の行路人に対する寺の慈悲心が如実に示され、この年の飢饉が如何に悲惨なものであったかとものがたる実録である。同過去帳は、天保8年3月13日に始まり、同年11月25日に至る。この間の餓死者一人一人の俗名・年令・生国を記し、俗名不詳のものにはくわしく風体や推定年令・性別などを書き添え、しかも総ての者に法名を冠しているのである。墓地には「五百六十八人無縁墓」の高さ2m50cm、幅約50cmの碑が、第8世住職覧信和尚の高徳を讃える如く、しかも当時を偲ばせる如く建っている。なおこの無縁墓の外に、幕末の志士「大久保鼎」、明治の漢詩人として名高い「本田種竹」の墓がある。(せたがや社寺と史跡より)

新編武蔵風土記稿による多聞院の縁起

新義真言宗、江戸大塚護国寺末金剛山慈願寺と号す。開山蓮誉は寛永元年五月五日寂す。開基は村内名主傳右衛門先祖與兵衛にて、法名天雪舊満と云、明暦四年六月十日死す。本尊地蔵を安す。
稲荷社。
門前町屋。間口十四間、百五十四坪。(新編武蔵風土記稿より)


多聞院の周辺図


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