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安養院|足立区千住にある真言宗豊山派寺院

安養院の概要

真言宗豊山派の安養院は、西林山長福寺安養院と号します。鎌倉時代北条時頼が創建したと伝えられ(同様の言い伝えは上板橋安養院にも残ります)、慶長3年(1598)兵火に遇い、当地へ移転したといいます。荒川辺八十八ヶ所霊場48番札所、荒綾八十八ヶ所霊場73番札所です。

安養院
安養院の概要
山号 西林山
院号 長福寺
寺号 善応寺
住所 足立区千住5-17-9
本尊 阿弥陀如来
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 荒川辺八十八ヶ所霊場48番札所、荒綾八十八ヶ所霊場73番札所



安養院の縁起

安養院は、鎌倉時代北条時頼が千住元町に創建、西林山長福寺と号したと伝えられ、慶長3年(1598)兵火に遇い、当地へ移転したといいます。

足立区教育委員会掲示による安養院の縁起

当寺は、もと千住元町にあり、鎌倉時代北条時頼が創建したと伝えられ、西林山長福寺と称した。
慶長3年(1598)兵火の災にあい、現在地に移り真言宗西林山長福寺安養院と改めた。
本尊は、金銅仏の阿弥陀如来で、鎌倉末期のものと思われる。背面に宝永4年(1707)9月26日の修覆造像記銘がある。
その他、秘仏である地蔵菩薩立像・香木造の弘法大師像・密教用法具・真言密教の教典・古文書等が保存されている。
中興開基第1世は賢智上人で、北条氏の臣高梨氏の出身である。以来歴代の住職と檀家の努力で幸運栄え、江戸末期から明治初期にかけては真言密教の檀林となり、多くの仏弟子を世に送った。
現在の本堂は、大正12年第22世良道僧正によって再建されたものである。(足立区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による安養院の縁起

(千住町五町目)安養院
新義真言宗、本木村吉祥院門徒、西林山長福寺と號す、元は寺號を以て行はれしが、故有て寺號を憚り院號を稱すと云、當寺は昔北条氏政が祈願所にして、同人より出せし文書も有しが、後丙丁の災に罹て失たりと云、又其頃は四町目の小名金物耕地にありて、本尊弥陀は則かの所にて掘出せしものなりと云、開山の僧を傳へず、享保年中しばしば御腰掛となりし寺なりと云。(新編武蔵風土記稿より)

足立風土記資料寺院明細による安養院の縁起

小本寺吉祥院末 東京府管轄武州足立郡千住宿北組 西林山安養院
創立応永2年、賢智開山、色衣ハ浅青香衣二色寺格
第19世住職了阿、壬申29歳。印旛県管轄下下総国葛飾郡桐ヶ谷村農石井富五郎二男、嘉永7年3月21日同管轄同国相馬郡布施邑於東海寺得度、東京府管轄武州足立郡梅田村明王院ヨリ移転、明治4年12月入寺、和州城上郡初瀬本山小池坊留学9ヶ年。
弟子、壬申23歳。印旛県管轄下下総国相馬郡布施村農森幸治郎二男、嘉永6年6月10日千住安養院於テ得度、本山小池坊留学2ヶ年
寄留実純、壬申22歳。埼玉県管轄武州埼玉郡蓮沼村農宮田民右ヱ門六男、文久2年4月6日印旛県管轄下下総国葛飾郡若柴村於長覚寺得度、東京府管轄武州足立郡本木邑吉祥院弟子也。以上僧三人、内寄留一人。
境内、但除地、3反2畝7歩。檀家、150軒。門末庵室等無之(足立風土記資料寺院明細より)


安養院の周辺図


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