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吉祥院|足立区本木西町にある真言宗豊山派寺院

吉祥院の概要

真言宗豊山派寺院の吉祥院は、渕江山星谷寺と号します。正応元年(1288)僧円真が開山しました。古くから名刹として知られ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したといい、盛時には多くの寺領と末寺33を有していたといいます。荒川辺八十八ヶ所霊場28番、30番、31番札所、荒綾八十八ヶ所霊場80番札所です。

吉祥院
吉祥院の概要
山号 渕江山
院号 吉祥院
寺号 星谷寺
住所 足立区本木西町17-5
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 荒川辺八十八ヶ所霊場28番、30番、31番札所、荒綾八十八ヶ所霊場80番札所



吉祥院の縁起

吉祥院は、正応元年(1288)僧円真が開山しました。古くから名刹として知られ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したといい、盛時には多くの寺領と末寺33を有していたといいます。

足立区教育委員会掲示による吉祥院の縁起

真言宗、渕江山吉祥院星谷寺と称す。
寺伝によると、正応元年(1288)僧円真によって開山され、大日如来を本尊としている。
古くから名刹として知られ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したという。盛時には多くの寺領と末寺33を有し、明治以降も高い格式をもっていた。
寺宝として、大日如来像・弘法大師像・阿弥陀如来像・弁財天像・宝鏡院宮染筆の扁額「渕江山」・真言宗八祖僧正画・十二天尊屏風・宝篋印塔(寛永5年・1628)・葵紋付の籠等がある。(足立区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による吉祥院の縁起

(本木村)吉祥院
新義真言宗、山城國御室仁和寺の末なり、東照宮の御時寺領五石の御朱印を賜へりと云、小名星ノ谷にあるを以て、淵江山星谷寺と號す、本尊大日を安せり、當寺は嘉元三年の起立なりといへど覚束なし、境内に嘉元三年の古碑あるを以ていへるならん、掃部宿の名主庄左衛門が傳には、當寺開山の僧は遠州の産にて、先祖石出掃部亮かの地よりともなひ来れりと云、此説によれば嘉元の起立と云は、弥附会の説なるべし。
鐘楼。天明三年鋳造の鐘をかく。
山王社。(新編武蔵風土記稿より)

「ブックレット足立風土記西新井地区」による吉祥院の縁起

吉祥院(本木西町17)
真言宗豊山派に属し、正式には渕江山吉祥院星谷寺と号します。山号の渕江山は中世以来本木一帯を表す広域地名で、寺号星谷は吉祥院がある本木村の小字ホシヤを意味しています。また、吉祥院は本木村の開発ともゆかりは深く、文禄年間(1592〜96)に石出掃部亮吉胤が、開発の際に身を寄せた場所であったともいわれています。本尊は大日如来坐像で、高さ45cm、江戸時代の作と見られています。創建年代については、1288(正応元)年説と1305(嘉元3)年説があります。江戸時代には江戸4ヵ寺のひとつに数えられ、仁和寺の直末の中本寺として、22か寺の末寺・門徒を持った寺でした。また、朱印地5石を拝領するとともに、鷹狩の際の御膳所(将軍の休息所)としても知られていました。(「ブックレット足立風土記西新井地区」より)


足立風土記資料による吉祥院の縁起

本寺西京御室仁和寺末 東京府管轄武州足立郡本木村 淵江山吉祥院
創立正応元年月日不詳、円真開山、色衣ハ浅青香二色寺格。
第25世住職行阿、壬申50歳。印旛県管轄した下総国葛飾郡船戸邑農増田作兵衛二男、天保11年8月21日同管轄同国相馬郡布施邑於東海寺得度、慶応元年5月12日入寺、東京府管轄武州足立郡千住宿安養院ヨリ移転、和州城上郡初瀬山小池坊留学12ヶ年。
弟子成阿、壬申15歳。埼玉県管轄武州埼玉郡神明下邑松沢孫右ヱ門三男、明治3年9月16日本木邑於吉祥院得度。以上僧二人。
境内、但除地、5反3歩。檀家215軒。門末19ヶ寺。庵室等無之


吉祥院のもと末寺


吉祥院の周辺図


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