本覚寺。横浜市鶴見区獅子ヶ谷にある天台宗寺院

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眞如山本覚寺。横浜市鶴見区獅子ヶ谷

本覚寺の概要

天台宗寺院の本覚寺は、眞如山成就院と号します。本覚寺は、慶嚴法印(貞治2年1363年寂)が開山したといいます。

本覚寺
本覚寺の概要
山号 眞如山
院号 成就院
寺号 本覚寺
住所 横浜市鶴見区獅子ヶ谷2-6-32
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



本覚寺の縁起

本覚寺は、当地にあった大日堂に、港北区吉田にあった本覺寺を引寺する形で天和3年(1638)に開創、権大僧都法印堯弁和尚が開山、獅子ヶ谷村名主横溝五郎兵衛が開基だといいます。

新編武蔵風土記稿による本覚寺の縁起

(獅子谷村)本覚寺
村の南にあり、天台宗同郡駒林村金蔵寺門徒眞如山成就院と號す、開山は権大僧都行祐元禄十四年正月三日寂す、開基は織山道樹延寶七年三月五日寂す、これ村内七郎兵衛が祖なり、此寺古は大日堂なりしが、其頃都筑郡吉田村に本覺寺と云寺院ありしを、天和三年金蔵寺の願によりてここに引移せり、是より一寺となれり、本尊大日木の坐像にして長二尺五寸なるを安ず、客殿六間半に五間東向なり。
観音堂。客殿の左にあり、東向二間半に二間、如意輪観音立像にして長八寸なるを安ず。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿 佛寺編」による本覚寺の縁起

本覺寺
位置
本覺寺は眞如山成就院と號し、鶴見區獅子ヶ谷町八百四番地に在る。境内は二百二十五坪。官有地。橘樹郡日吉村金藏寺末で、寺格は十等三級で在る。
沿革
寺傳に據れば、承應年中の創建にして、開山を堯辨と云ひ、其頃當所の名主横溝五郞兵衞(法名實相院圓淨宗鑑居士。)が深く彼に歸依し、今の境内一段四畝五歩の地を寄附して建立した所だとある。新編武藏風土記稿には、開山は權大僧都行祐、元祿十四年正月三日寂、開基は繊山道樹、延寶七年三月五日歿とある。村内、五郞兵衞の祖先である。此寺、古は大日堂であったが、其頃、都筑郡吉田村に本覺寺と云ふ寺院があつたのを、天和三年、橘樹郡日吉村の金藏寺の願によつて爰に引移した。是れより一寺となつたとある。思ふに寺傳は大日堂の緣起を語つたものであらうか。其後荒廢に及んだのを、第九世秀存が、寺門興隆の素願を發し、享保十八年、時の寺社奉行西尾隱岐守・井上河内守の允許を得て、廣く勸化を募り、精進努力して、同二十年、堂宇の修繕を遂げ、能く中興の業を完うした。然るに年を經て再び荒廢を見るに及んだので、天保十五年、第十二世明觀が本堂を再建した。卽ち今の堂宇である。第十六世亮融代に至つて、寺門復衰頽し、本堂を以て村役場に充つるの狀態となり、大正十二年九月一日、關東大震災の際は、殆ど仝潰に等しき災厄に遭つたが、現住の木崎寛信が修覆を施して、今日の觀を呈するに至つた。
本尊
本尊大日如來木彫坐像長一尺五寸。は作不詳。兩脇士、觀音・勢至坐像は各、長一尺二寸。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


本覚寺の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿