信濃白旗神社|横浜市戸塚区信濃町の神社

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信濃白旗神社|源義経公を祭神

信濃白旗神社の概要

信濃白旗神社は、横浜市戸塚区にある白旗神社です。信濃白旗神社は、康元元年(1256)に源義経公を御祭神を崇め創建、信濃村の鎮守として祀られたといいます。天正19年(1590)より当地を領有していた旗本新見氏は、当地の興隆に尽力、新見正興は日本初の遣米使節団の正使として渡米したといいます。

信濃白旗神社
信濃白旗神社の概要
社号 白旗神社
祭神 源義経命
相殿 天照皇大神、豊受姫命
境内社 大六社、蔵王社
住所 横浜市戸塚区信濃町518-7
祭日 例大祭9月28日
備考 -



白旗神社の由緒

信濃白旗神社は、康元元年(1256)に源義経公を御祭神を崇め創建、信濃村の鎮守として祀られたといいます。天正19年(1590)より当地を領有していた旗本新見氏は、当地の興隆に尽力、新見正興は日本初の遣米使節団の正使として渡米したといいます。

新編相模国風土記稿による白旗神社の由緒

(信濃村)
白旗社
村の鎮守とす、賴朝を祀ると云ふ本地佛彌陀を安ず、祭禮十一月十八日。
末社。三玉明神、天神。
別當。西光院村内北天院末、本尊華嚴釋迦。(新編相模国風土記稿より)

神奈川県神社誌による白旗神社の由緒

康元元年(一二五六)の創建で、天正三年・天保十一年に夫々改築された。天正十八年以降当地を知行した新見氏(子孫・正興は幕末の遣米正使)が歴代神社の興隆に力を尽した。(弘化五年鳥居奉建)。
大正十二年の大震災に社殿は倒壊したが氏子に損傷が無かったので、村の長・金子鉄五郎は「宮柱うちくだけても倒れても氏子に怪我のなきぞ尊き」と献詠し、一同も亦身代わりになって下さった鎮守様の修復に尽力し、翌年九月現社殿を完成した。神社の丘を白旗山と呼び、一帯の小字名となっている。(神奈川県神社誌より)

「戸塚区郷土史」による白旗神社の由緒

白旗神社(品濃町四五五番地)
祭神は天照大神、豊受姫命、源義経の三柱、社伝によれば康元元年(一二五六)の創建と伝え、その後天正三年(一五七五)及び天保十一年(一八四〇)の両度にわたりそれぞれ改築したという。新見豊前守正興(安政条約批准遺米正使)は、当地を領して、当神社の興隆に力をつくしたといわれ、大正十二年関東大震災の時には社殿倒壊したが、翌年九月再建の功成り現在にいたっている。なお境内の丘を白旗山と呼んでいる。(「戸塚区郷土史」より)

境内掲示による白旗神社の由緒

康元元年(一二五六)源義経公を御祭神を崇め創建、御社殿は天正三年、天保十一年に夫々改築された。白旗とは源平争乱の際、敵味方を区別するための旗の色、平家の赤旗に対する源氏の白旗、源氏そのものを象徴する名である。
源氏の武将が祀られる「白旗」の名の付く神社は全国神社本廳傘下八十余社あり、その内「義経公」を祀る神社は八社であるが由縁は不明である。
天正十九年以来は、當地の地行となった新見氏が明治初頭まで當神社の興隆に尽力した。大正十二年関東大震災の際には御社殿は倒壊下が氏子には被害が無かったので、時の部落長が「宮柱打ち砕けても倒れても氏子の怪我なきぞ尊き」と献詠し、村人たちは「鎮守様が身代わりになってくださった」と感激して翌年再建に着工、九月二十八日に竣工しこの日に因んで例祭日となる。(境内掲示より)


信濃白旗神社の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿