光長寺。横浜市栄区飯島町にある浄土宗寺院

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泉水山光長寺。地頭黒田信濃守直相中興開基

光長寺の概要

浄土宗寺院の光長寺は、泉水山養儼院と号します。光長寺は、圓蓮社音譽智達(慶長13年1608年寂)が慶長元年(1596)に開山したといいます。その後、徳川家康に近侍していた養儼院が日光山に参詣の折、頓死したのを追福するため、弟で当地の地頭黒田信濃守直相が、位牌を安置・山林を寄進し中興開基したといいます。

光長寺
光長寺の概要
山号 泉水山
院号 養儼院
寺号 光長寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 横浜市栄区飯島町779
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



光長寺の縁起

光長寺は、圓蓮社音譽智達(慶長13年1608年寂)が慶長元年(1596)に開山したといいます。その後、徳川家康に近侍していた養儼院が日光山に参詣の折、頓死したのを追福するため、弟で当地の地頭黒田信濃守直相が、位牌を安置・山林を寄進し中興開基したといいます。

新編相模国風土記稿による光長寺の縁起

(飯島村)
光長寺
清水山養儼院と號す、浄土宗(岩瀬村大長寺末、)三尊彌陀を本尊とす、天正中の剏建にて開山は智達(圓蓮社音譽と號す、慶長十三年五月十五日寂す、)と云へり、後寛永二年地頭黒田信濃守直相(寛文十二年十一月七日卒す)姉養儼院(俗名呂久女、法名養儼院鑑譽心光大禅定尼と號す、)菩提の為に中興開基し其牌を置く(本寺の傳に、養儼院尼は東照宮近侍の婦人にて、薨御の後日光山に参拝し、山中にて頓死す、其遺骸は小石川傳通院に葬し、當寺には牌を置き追福を營む、此時寺域の續きにて、山林五畝餘を寄附ありしと云ふ、)此時より當寺も養儼院と稱するなるべし、(新編相模国風土記稿より)

「戸塚区郷土史」による光長寺の縁起

光長寺(飯島町七七九番地)浄土宗
泉水山香梅院と号し、天正年間の創建と伝え、「蓮門精舎旧詞」は慶長元年の起立と伝えている。開山は音誉知達(慶長十三年五月十五日寂)。寛永二年地頭黒田信濃守直相は徳川家康に近侍していた姉養儼院(俗名呂久)が日光山に参詣の折り、山中にて頓死したため、その追福を弔い、牌を当寺に安置し、寺域の続きの地に山林を寄進したという。よって直相を中興の開基とし、院号は初め梅香院と号したのを寛永二年牌を安置したのを機に香梅院と改称した。本尊は阿弥陀仏。(「戸塚区郷土史」より)


光長寺の周辺図


参考資料

  • 新編相模国風土記稿