お三の宮日枝神社|横浜市南区山王町の神社

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お三の宮日枝神社|吉田新田を開拓した吉田勘兵衛良信が寛文13年創建

お三の宮日枝神社の概要

お三の宮日枝神社は、横浜市南区山王町にある日枝神社です。お三の宮日枝神社は、当地周辺吉田新田を開拓した吉田勘兵衛良信が吉田新田村の鎮守社として寛文13年(1673)に創建したといいます。明治8年村社に列格、昭和52年稲荷神社を合祀したといいます。

お三の宮日枝神社
お三の宮日枝神社の概要
社号 日枝神社
祭神 大山咋命
相殿 宇迦之御魂神
境内社 道祖社、長者稲荷社、堰神社、庚神社、招魂社
住所 横浜市南区山王町5-32
祭日 例大祭9月14・15日
備考 旧吉田新田村鎮守、旧村社



お三の宮日枝神社の由緒

お三の宮日枝神社は、当地周辺吉田新田を開拓した吉田勘兵衛良信が吉田新田村の鎮守社として寛文13年(1673)に創建したといいます。明治8年村社に列格、昭和52年稲荷神社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿によるお三の宮日枝神社の由緒

(吉田新田)山王社
除地、西の方にあり。村の鎮守なり。常清寺持(新編武蔵風土記稿より)

神奈川県神社誌によるお三の宮日枝神社の由緒

旧は山王社と称し、世俗お三の宮と謂う。寛文十三年(一六七三)九月十日吉田新田開拓者吉田勘兵衛尉良信、江戸山王権現の分霊を勧請創建したと云う。勘兵衛創立にあたり、地鎮のために大乗経一部を埋納したというが、民間訛伝して新田埋立の人柱となった「おさん」の霊をまつる所とするのは付会である。初めは、山王大権現又は山王宮と称せられ、山王の宮が転訛して、「おさんの宮」又は「お三の宮」と呼ばれるに至ったと云う。もと常清寺が別当であったが、元禄十三年角井式部尉藤原重勝神主となり以来現宮司十一代に及ぶ。明治八年村社に列し、昭和三年九月十一日神饌幣帛料供進社に指定された。昭和五十二年六月二十五日、宗教法人稲荷神社を合祀した。(神奈川県神社誌より)

「南区の歴史」によるお三の宮日枝神社の由緒

日枝神社/稲荷神社
この両社は吉田新田の開拓者吉田勘兵衛良信が新田の鎮守として創建したものであって、寛文一三年(一六七三)九月一〇日江戸の山王権現を勧請して、山王・稲荷両新宮の上棟祭を角井重勝を祭主に執行した。日枝神社ははじめ山王社と称し、明治初年に日枝大神と改め、のち現在の日枝神社と改称したものでこの時に村社になった。
昭和三年九月一一日神饌幣帛料供進社に指定された。(「南区の歴史」より)

境内掲示によるお三の宮日枝神社の由緒

旧は山王社稲荷社と称し後西天皇の御宇江戸の住吉田勘兵衛良信公が横浜吉田新田百十六町歩の埋立大工事を完成するに方り新田住民の守護と五穀豊穣とを祈願のため寛文十三年九月十日社殿を建つ。なお吉田新田は万治年間より工を起し、十有余年の歳月と私費八千余両を投じて出来せり。
埋立によりおさんの伝説を生みたり。(境内掲示より)


お三の宮日枝神社所蔵の文化財

  • 吉田新田鎮守(日枝神社)境内(横浜市地域史跡)

吉田新田鎮守

日枝神社は、吉田新田の開発者である初代吉田勘兵衛良信は、江戸の山王権現(山王日枝神社)を勧請し、新田の鎮守として寛文十三年(1673)に創建したもので、お三の宮の愛称で市民の間に親しまれています。吉田新田の地域は、現在の関外地区の大半を占め、中区伊勢佐木町をはじめ、南区にわたって四十ヵ町を数えます。神社境内には、延宝二年(1674)の手水鉢があり、社宝として木彫獅子狗が残されています。例大祭は九月十四日~十五日に行われています。(横浜市教育委員会掲示より)


お三の宮日枝神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「神奈川県神社誌」
  • 「南区の歴史」(南区の歴史発刊実行委員会)