観護寺。横浜市緑区小山町にある高野山真言宗寺院

猫の足あとによる横浜市寺社案内

補陀洛山観護寺。旧小机領三十三所子歳観音霊場、武相寅歳薬師如来霊場

観護寺の概要

高野山真言宗寺院の観護寺は、補陀洛山龍光院と号します。観護寺の創建年代等は不詳ながら、元海(天文2年1533年寂)が中興、慶安年間(1648-1651)には杉山神社領として5石6斗の御朱印状を拝領したといいます。旧小机領三十三所子歳観音霊場26番、武相寅歳薬師如来霊場3番です。

観護寺
観護寺の概要
山号 補陀洛山
院号 龍光院
寺号 観護寺
本尊 聖観音如来像
住所 横浜市緑区小山町677-9
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



観護寺の縁起

観護寺の創建年代等は不詳ながら、印融法印(1435-1519)を開山とするといいます。印融法印は、高野山で研鑽を積んだ後、三會寺舊城寺の住職を歴任した高僧だといいます。

新編武蔵風土記稿による観護寺の縁起

(小山村)観護寺
除地、四段四畝六歩、村の南荒川主計の采地にあり、古義真言宗、橘樹郡鳥山村三會寺末、浮陀洛山龍光院と號す、客殿九間に六間南向なり、本尊聖観音木の坐像、長二尺許、春日の作なり、開山詳ならず、僧印融を以て姑く開山とせり、印融は久保村の産にて、同村舊城寺の住職となり、他山へも移轉して後亦當寺に来り、永正十六年八月十六日遷化す、此寺も古へは八十石の御朱印を賜りしよし、しばしば回禄に逢て舊記等烏有せしかば、後願べき便りもなく、往事を知事を得ずと云、このわたりより富士山を眺望あるにより、土人は富士見寺などと呼べり、又寺前の水田に其形のうつれば、其田を富士見田などともいへり。(新編武蔵風土記稿より)


観護寺所蔵の文化財

  • 印融法印墓(横浜市地域史跡)

印融法印墓

印融法印(一四三五〜一五一九)は、中世の学僧で、現在の緑区三保町の生まれといわれる。
『神奈川県史』(人物編)によれば、小机鳥山三会寺で伝法を受け、高野山で研鑽を積み、無量光院の院主となった。晩年にいたり関東における真言宗の衰退をなげき、長享二年(一四八八)頃より関東に帰り、三会寺や金沢光徳寺(註:現龍華寺)などに住して真言宗の復興に努めた。永正十六年(一五一九)八月十五日、観護寺で没したという。八十五歳。
生来、書を好み、外出するときは、鞍に小机をつけた小牛に乗りながら、仏典を読んだという。
地輪に、「永正十六己卯季 印融法印 八月十五日」とある。(横浜市教育委員会掲示より)

観護寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿