水月山陽林寺。准秩父三十四観音霊場
陽林寺の概要
曹洞宗寺院の陽林寺は、水月山と号します。陽林寺は、大曽根大乗寺第3世生外意鉄大和尚が慶安2年(1649)に創建したといいます。准秩父三十四観音霊場25番です。
山号 | 水月山 |
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院号 | - |
寺号 | 陽林寺 |
住所 | 横浜市港北区綱島台1-18 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
陽林寺の縁起
陽林寺は、大永年間(1521-1527)に綱島に移り住んだ城田氏が、一族の菩提寺として天台宗の草堂を建立したと伝えられます。昭和2年にこの草堂に尼僧が入庵、曹洞宗の寺として整備され水月山陽林庵と号したといいます。
「港北区史」による陽林寺の縁起
横浜市港北区綱島台にある陽林寺は曹洞宗のお寺で水月山陽林寺という。大永年間(1521年~1527年)に、 綱島に移り住んだ城田氏が、一族の繁栄と安全を祈願して建立した天台宗の草堂が陽林寺の始まりと伝えられる。江戸時代、武蔵南部丘陵の開墾が進むと、北綱島村でも人口が増加し、草堂は村の寺のような存在となった。幕末の横浜開港に続く明治の文明化で横浜が発展すると、農村地帯であった綱島も東京と横浜の間に位置する大都市郊外として開発が進んだ。大正15年(1926年)に東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)東横線が開通すると、綱島温泉駅が開業した。駅前にラジウム温泉の温泉浴場ができ、駅周辺は分譲地として売り出された。翌年の昭和2年(1927年)には横浜市に編入され、この年には、これまで無住であった草庵に尼僧が住むこととなり、曹洞宗の寺として整備され、当時境内にあった池に写る名月にちなみ「水月山陽林寺」と寺の名を改めた。
本尊は、創建者・城田氏が兜の中に納めたとされる1寸8分(5.5cm)の十一面観音で、これは12年に1度の午年に開帳される秘仏で、普段は本堂中央に鎮座する釈迦如来坐像がこれに代わる。
陽林寺の庫裡前の桜はまだ開花前で品種が分からなかった。寺の人に聞くと山桜だという。染井吉野が散ると咲き出し、八重桜の前に咲くのだという。この辺りでは、山桜は染井吉野と同時期に咲くのが一般的であるが、染井吉野よりも遅い山桜も見てみたいと思った。また、玄関は瓦屋根で、片方だけに飾り瓦が上がっている。牡丹のように見えるが、蕾がないのでこれも聞いてみた。しかし、何も知らないようだ。(「港北区史」より)
「横浜市史稿」による陽林寺の縁起
該当記載なし(「横浜市史稿」より)
陽林寺の周辺図
参考資料
- 「港北区史」
- 「横浜市史稿」