奥多摩寒山寺|青梅市沢井にある寺院

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奥多摩寒山寺|中国寒山寺で拝領した釈迦如来像を奉安

奥多摩寒山寺の概要

奥多摩寒山寺は、青梅市沢井にある寺院です。奥多摩寒山寺は、書家田口米舫氏が明治18年に中国遊学の際、姑蘇城外寒山寺で釈迦如来像を拝領、澤乃井醸造元当主小津太平翁の尽力を得て昭和5年落慶、青梅線の開発とあいまって多くの文人墨客が参詣したといいます。

奥多摩寒山寺
奥多摩寒山寺の概要
山号 -
院号 -
寺号 -
住所 青梅市沢井2-629
宗派 -
葬儀・墓地 -
備考 -



奥多摩寒山寺の縁起

奥多摩寒山寺は、書家田口米舫氏が明治18年に中国遊学の際、姑蘇城外寒山寺で釈迦如来像を拝領、澤乃井醸造元当主小津太平翁の尽力を得て昭和5年落慶、青梅線の開発とあいまって多くの文人墨客が参詣したといいます。

「奥多摩寒山寺の栞」による奥多摩寒山寺の縁起

青梅市澤井、多摩川上流の鵜の瀬渓谷に臨んで小さいながら随き深い堂宇があります。無住寺とはいえ、四季折々に奥多摩行楽の人々や地元の善男善女が合掌し、鐘をつく姿が木の間がくれに見えます。鐘声は、つく人の祈りと煩悩をのせて、多摩川の清流のまにまに流れゆきあとにはひと時の静寂と浄福が訪れ、しばし俗塵を忘れさせてくれます。
この寺の由緒は、明治十八年に溯り、時の書家、田口米舫氏が中国に遊学した折、姑蘇城外の寒山寺を訪れ、主僧の祖信師より、日本寒山寺の建立を願って、釈迦仏木像一体を託されたのに始まります。
帰国後、米舫氏は、適地を求めて日本全国を遍歴中、幽すいでありながら交通の便がよく、人心の素朴なこの澤井の地を発見、地主の清酒澤乃井醸造元当主の小津太平翁の尽力によって、昭和五年落慶しました。小津翁は当時の青梅鉄道株式会社の社長でもあり、青梅線の開発と共に、この寒山寺にも、中国の故事を慕って当時の文人墨客が大ぜい訪れ、川畔の割烹旅館、紅葉亭に滞在、都の文化が種まかれました。
寒山寺の格天井には、当時の院展級の大家による揮毫が今もなお華やかさを添えております。また寒山守には欠かせない梵鐘は、残念なことに第二次大戦中に供出され、再び昔の鐘声を聞くことは叶いませんが、幸い、昭和四十年八月、太平翁より三代目の当主、小津恒夫氏(小津酒造株式会社会長)が呼びかけ、有志の浄財を得て、鐘楼と共に、昔に優る梵鐘が再建されました。その後四十五年には、新しく川台玉堂門下二十四画伯(宇佐美江中氏他)の揮毫を得て、鐘楼の格天井も復元しました。
傍らの多摩川には楓橋がかけられ、両岸の遊歩道も整い、かつての紅葉亭は、いま、豆腐ゆば料理の「まゝごと屋」として、参詣の途次立ち寄られる人々で賑わっています。(「奥多摩寒山寺の栞」より)


奥多摩寒山寺の周辺図


参考資料

  • 「青梅市史」
  • 「西多摩郡村誌」