木曽一里塚。御尊櫃御成道の一里塚
木曽一里塚の概要
木曽一里塚は、町田市木曽西にある名所旧跡です。木曽一里塚は、江戸時代に整備された一里塚の一つです。木曽一里塚のある道は、徳川家康の遺棺が駿河の久能山から日光東照宮へ遷された際に利用された道(御尊櫃御成道)で、府中へ続いていたといいます。
名称 | 木曽一里塚 |
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見どころ | 市指定史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | 無料 |
住所 | 町田市木曽西4-14 |
備考 | - |
木曽一里塚の由来
木曽一里塚は、江戸時代に整備された一里塚の一つです。木曽一里塚のある道は、徳川家康の遺棺が駿河の久能山から日光東照宮へ遷された際に利用された道(御尊櫃御成道)で、府中へ続いていたといいます。
町田市教育委員会掲示による木曽一里塚について
町田市指定史跡
木曽一里塚
徳川家康は秀忠に命じて慶長九年(一六〇四)に、日本橋を基点に東海道、東山道、北陸道一里塚を築かせ全国に普及させた。その後、付属の街道である脇往還なども整備された。一里塚は旅行者の目印として一里(約四キロメートル)の間隔で道の両側に築かれた塚で、木陰で休憩がとれるように、榎や松が植えられた。
町田市内には、木曽町、小野路町に一里塚が残っている。元和三年(一六一七)に徳川家康の遺櫃が駿河の久能山から日光東照宮へ移されたとき、東海道の平塚から、厚木、座間、木曽、小野路、府中と通過した。この道は、後に御尊櫃御成道(ごそんびつおなりみち)と呼ばれた。一八世紀になると関東各地から相模国大山阿夫利神社へ参詣する大山講が盛んになり、この道も大山道として利用され、木曽と小野路は宿場町として栄えた。木曽の一里塚も小野路と同じく道の両側にあったが、現在は西側のものだけが残り、塚の上には武蔵御嶽山の大口真神の小祠がある。(町田市教育委員会掲示より)
木曽一里塚の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿