叶谷住吉神社|八王子市叶谷町の神社

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叶谷住吉神社|旧鵜森明神

叶谷住吉神社の概要

叶谷住吉神社は、八王子市叶谷町にある神社です。叶谷住吉神社は、寛平年間(889-897)に勧請、鵜が多く棲息していたことから鵜森神社と称されていたと伝えられます。前九年の役に際し、源頼義が田源五広綱に命じて永承六年(1051)住吉大社を勧請、天福15年(1233)には北条時頼が武運を祈願して再建、天正10年(1852)には八王子城主北条氏照が八王子城の鬼門除けとして再建するなど崇敬を受けてきました。江戸期には幕府より社領10石の御朱印状を受領しています。

叶谷住吉神社
叶谷住吉神社の概要
社号 住吉神社
祭神 上筒男命、中筒男命、底筒男命
相殿 -
境内社 稲荷社、天神社、蚕守神社
住所 八王子市叶谷町1072
祭日 例大祭4月3日、恒例祭9月29日
備考 -



叶谷住吉神社の由緒

叶谷住吉神社は、寛平年間(889-897)に勧請、鵜が多く棲息していたことから鵜森神社と称されていたと伝えられます。前九年の役に際し、源頼義が田源五広綱に命じて永承六年(1051)住吉大社を勧請、天福15年(1233)には北条時頼が武運を祈願して再建、天正10年(1852)には八王子城主北条氏照が八王子城の鬼門除けとして再建するなど崇敬を受けてきました。江戸期には幕府より社領10石の御朱印状を受領しています。

新編武蔵風土記稿による叶谷住吉神社の由緒

(下一分方村)
鵜森神社
御朱印社領、十石を賜ふ、社領の地を往昔より鵜森庄と云ひしと、社傳に見えたり、祭神は住吉大明神なり、神主小川豊前とて社地の北に居れり、當社を鵜森明神と號することは、往昔この邊すべて沼地にて小川の流ありけるに、鵜来て森に巣せしゆへ、鵜ノ森の名をこりしと云、さもありしにや、されど此となへは後の世よりのことなる、此神社の鎮座ありしは、ことに古きことゝみえし、或は寛平の比住吉明神を勸請せしともいひ傳へり、棟札に天延年中この社を再建したることをのせ、其外天福年中に再造し、又世下りて天正に再建せし棟札あり、夫より前天平年中柿本朝臣、都よりこの地に来り住み、人丸の像を安置しけるとも云、是らの説はもつともうけかひ難し、さはあれとにかく舊き社なるべし、棟札三枚の後にのせたり、(棟札文面省略)
按に、右にのする棟札は當國にとつてはことに古きものと云べし、されど三國系圖ならびに嵯峨源氏の系圖等を見るに、三田源五廣綱と云ものなし、天延の比は渡邊源五綱が世にありしころなるべし、此人箕田源五ともいひて初當國箕田の住人なることは勿論なれば、此神社を再造せしといはば故あるに似たり、廣綱と云はうけかひがたし、ことに三田としるせるをみれば、三田弾正某が祖先なるもしるべからず、されど證とすべき者無、
末社
天満宮。本社の左にあり、三尺四方の小祠、北向なり、(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による叶谷住吉神社の由緒

寛平年間(八八九-九七)の勧請で鵜森神社と称した。天延四年(九七六)六月再建し、永承六年(一〇五一)陸奥守源頼義、阿部頼時(前九年の役)討伐の時、三田源五広綱に命じ摂州住吉大社を勧請する。天福一五年(一二三三)九月、北条時頼朝臣願主となり武運を祈願して再建する。天正十年(一五八二)九月八王子城主北条氏照公城の鬼門除けの神として再建し、十八年落城の時兵火のため社殿焼失する。朱印十石を賜わる。元和三年(一六一七)徳川幕府再建、承応二年(一六五三)十一月、弘化二年(一八四五)十一月再建した。その後、昭和五十五年三月に拝殿・幣殿・奥殿の上屋を新築し境内整備をなした。(東京都神社名鑑より)


叶谷住吉神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑