亀塚古墳|帆立貝式前方後円墳
亀塚古墳の概要
亀塚古墳は、狛江市元和泉にある名所旧跡で、狛江古墳群の一つで帆立貝式前方後円墳です。亀塚古墳は、5世紀末から6世紀初頭の築造ではないかといいます。帆立貝式前方後円墳であることから、形状が亀の形に似ていたことから亀塚と呼ばれていたといいますが、新編武蔵風土記稿の編纂された江戸時代後期にはあちこち掘り崩されて当時から形状は残っていなかったといい、現在は前方部の一部のみが残されています。
名称 | 亀塚古墳 |
---|---|
みどころ | 史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 狛江市元和泉1-21-11 |
備考 | - |
亀塚古墳の由緒
亀塚古墳は、狛江古墳群の一つで帆立貝式前方後円墳、5世紀末から6世紀初頭の築造ではないかといいます。帆立貝式前方後円墳であることから、形状が亀の形に似ていたことから亀塚と呼ばれていたといいますが、新編武蔵風土記稿の編纂された江戸時代後期にはあちこち掘り崩されて当時から形状は残っていなかったといい、現在は前方部の一部のみが残されています。
東京都教育委員会掲示による亀塚古墳について(東京都指定史跡)
亀塚古墳
狛江市南部を中心に分布する狛江古墳群は、南武蔵でも屈指の古墳群として知られています。これらは「狛江百塚」ともよばれ、総数70基あまりの古墳があったとされています。
そのなかでも、亀塚古墳は全長40mと狛江古墳群中屈指の規模を誇り、唯一の帆立貝形前方後円墳で、5世紀末~6世紀初頭に造られたと考えられています。昭和26・28年に発掘調査が行われ、古墳の周囲には、周溝があり、墳丘には円筒埴輪列が廻らされ、前方部には人物や馬をかたどった形象埴輪が置かれていることがわかりました。
人物を埋葬した施設は後円部から2基(木炭槨)、前方部から1基(石棺)が発見され、木炭槨からは銅鏡、金銅製毛彫飾居た、馬具、鉄製武器(直刀、鉄鏃など)、錫釧や玉類などの多数の服装品が出土しました。特に銅鏡は中国の後漢時代(25~220年)につくられた「神広歌舞伎像鏡」で、これと同じ鋳型でつくられたものが大阪府の古墳から2面見つかっていることから、この古墳に埋葬された人物が畿内王権と深く結びついていた豪族であったと考えられています。また、金銅毛彫飾居たには竜、人物、キリンが描かれていて、高句麗の古墳壁画との関係が注目されました。
現在は前方部の一部が残るのみですが、多彩な副葬品や古墳の規模・墳形などからみて、多摩川流域の古墳時代中期を代表する狛江地域の首長墓として位置づけられます。(狛江市教育委員会掲示より)
新編武蔵風土記稿による亀塚古墳について
(和泉村)亀塚
小名田中にあり、其地一段許、このあたりの大塚なり、塚上に雑木おひ茂り、首尾手足のさまもありて、亀の形に似たりしかばかく號せしよし、されどここは畑中にて、土民等、としとしに堀崩したれば、今はそのさまも見えず。(新編武蔵風土記稿より)
亀塚古墳の周辺図