虎狛神社|調布市佐須町の神社

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虎狛神社|延喜式内社の論社、旧郷社

虎狛神社の概要

虎狛神社は、調布市佐須町にある神社です。虎狛神社の創建年代等は不詳ながら、「崇峻天皇二年に祭事あり」と記載され、延喜式神明帳所載武蔵国多摩郡八座の内の一座で、虎柏神社と称していたといいます。明治6年には郷社に列格していました。

虎狛神社
虎狛神社の概要
社号 虎狛神社
祭神 大歳御祖神、稲蒼魂命
相殿 -
境内社 -
住所 調布市佐須町1-14-3
祭日 10月10日
備考 -



虎狛神社の由緒

虎狛神社の創建年代等は不詳ながら、「崇峻天皇二年に祭事あり」と記載され、延喜式神明帳所載武蔵国多摩郡八座の内の一座で、虎柏神社と称していたといいます。明治6年には郷社に列格していました。

「新編武蔵風土記稿」による虎狛神社の由緒

(佐須村)虎柏神社
社地二段餘、二間半四方の覆屋、是式内の虎柏神社なりといふ、【風土記】に虎柏に作り、圭田七十三束、所祭大歳御祖神也、崇峻天皇二年乙寅酉八月、始祭事有之と載せたり、社地は村の北にありて、深大寺村内難波田弾正の壘跡の南に當れり、そのかみ大手門當社の大門と相向ひしといへり、村内に宮田耕地といふ所あり、是古へ圭田の遺跡なるべしなど土人いへり、後世衰微して神體もなく祭祀も十年前までは毎年八月十五日に行れしが、廃絶して久しく其沙汰なし、近年に及て漸く地頭の寄附によりて、九月十三日神楽を執行すといふ、村内祇園寺古へ當社の別當なりといふ、今に尚その寺の持なり、當郡根ヶ布村に諏訪明神あり、社傳に式内虎柏神社なりといふ、いまだ何が是なることを知らず。(「新編武蔵風土記稿」より)

東京都神社名鑑による虎狛神社の由緒

当社は、崇峻天皇に年祭事有と、『延喜式神名帳』に収載されている武蔵国多摩郡八座の内の一つである。なお往古官祭の由緒をもって地頭より祭典料(米)の下げ渡しがあった。(東京都神社名鑑より)

北多摩神社誌による虎狛神社の由緒

崇峻天皇二年己酉八月初て祭事あることを延喜式神名帳に掲載してある。武蔵国多摩郡八座の内で虎柏神社と称されたとも伝わる。往古官祭の由緒を以て前の旧地頭より毎年祭典料下渡があった。明治六年郷社に列せられる。(北多摩神社誌より)

境内掲示による虎狛神社の由緒

虎狛神社は、今から一四二五年前の崇峻天皇(五八九年)八月に創建され、農業の神様である大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)がお祀りされて祭事が始まったと伝えられています。爾来、地元住民に崇敬され、地域の団結と発展、心の拠り所として佐須の中心となっております。後に穀物の神様である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)も合祀され、江戸末までは、虎狛山祇園寺の別当が、神事を司っておりました。尚地域内には、祇園寺東に位置し、天照皇大神をお祀りする「神明宮」、晃華学園南西角には、「里の稲荷」別名「樫ノ木稲荷」があり、これらも神社の氏子によって守られてきました。
建長五年(九二七年)の『延喜式神名帳』には武蔵国の式内社四十四座、多摩郡八座の一つとしての記録があります。現在の社殿は天和三年(一六八三年)に再建され、調布・狛江両市にあって最も古い建造物です。このため平成二十四年には、社殿並びにその小屋裏に残されていた三枚の棟札が調布市文化財の指定を受けました。(境内掲示より)


虎狛神社所蔵の文化財

  • 虎狛神社本殿附棟札三枚(市指定有形文化財)

虎狛神社本殿附棟札三枚

拝殿の奥に位置する本殿は、天和三年(一六八三)に建立されたもので、市内では深大寺の深沙大王堂内宮殿に次いで古い建造物です。建築形式は、一間社流造りの見世棚造りと呼ばれるもので、正面と側面に疑宝珠高欄付の切目縁をめぐらせ、向拝には五段の木階と浜縁が設けられています。屋根は銅板葺ですが、当初は茅葺であったことが棟札から明らかになりました。
江戸時代初期の建築技法をよくとどめた建造物で、極めて高度な技量がうかがえます。小屋裏に収蔵された棟札から、願主貫井三良右衛門、新右衛門、牛込の大工柏崎佐太郎などにより建立され、文化十二年(一八一五)に地元の大工によって修復されたことが判り、地域の歴史を知るうえでも重要な建造物です。(調布市教育委員会掲示より)

虎狛神社の周辺図