陽向寺|あきる野市草花にある臨済宗建長寺派寺院

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花松山陽向寺|小宮十八騎の高尾伊予守が創建

陽向寺の概要

臨済宗建長寺派寺院の陽向寺は、花松山と号します。陽向寺は、小宮十八騎の一人高尾伊予守が応永3年(1396)に創建、玉仲建琇禅師(応永5年1398年寂)が開山したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領5石の御朱印状を受領しています。

陽向寺
陽向寺の概要
山号 花松山
院号 -
寺号 陽向寺
住所 あきる野市草花2542
宗派 臨済宗建長寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



陽向寺の縁起

陽向寺は、小宮十八騎の一人高尾伊予守が応永3年(1396)に創建、玉仲建琇禅師(応永5年1398年寂)が開山したといいます。慶安2年(1649)には江戸幕府より寺領5石の御朱印状を受領しています。

新編武蔵風土記稿による陽向寺の縁起

(上草花村)陽向寺
小名峡田にあり、禅宗臨済派、同郡小和田村廣徳寺の末、花松山と號す、開山建琇示寂す年月を傳へず、本尊釋迦木の坐像長二尺五寸、客殿五間に七間、南向、寺領として御朱印五石の地を村内にて賜へり、(新編武蔵風土記稿より)

「秋川市史」による陽向寺の縁起

陽向寺(草花二五四二番地)
山号は花松山といい、臨済宗建長寺派に属している。五日市町小和田の広徳寺末であった。本尊は木造釈迦如来の坐像で、高さ約七七センチである。
寺伝によれば、応永三年(一三九六)小宮十八騎の一人高尾伊予守の創建で、開山は玉仲建琇禅師(応永五年<一三九八>十月二十三日示寂)である。一説によれば、当時は初めは原小宮にあったのを、後年になって現在地に移転したのだという。
慶安二年(一六四九)一二代将軍家光より御朱印五石を受領している。
境外(草花二七六八)に地蔵堂がある。堂は陽向寺開山の玉仲建琇禅師が応永年中に創立したものと伝えられている。本尊は石彫の地蔵菩薩で、弘法大師、爪書きの作という伝承がある。縁日は八月二十四日で、昔は相当の賑いがあったという。
なお当寺は、大正十年(一九二一)草花・菅生・瀬戸岡・原小宮の四か村が合併して、多西村が誕生した時、役場として使用されたことがあり、翌十一年まで続いた。(「秋川市史」より)


陽向寺所蔵の文化財

陽向寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿