真福寺。戸田市笹目にある真言宗智山派寺院

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真福寺。もと谷口稲荷の別当寺、武州足立百不動尊霊場

真福寺の概要

真言宗智山派寺院の真福寺は、薬王山と号します。真福寺の創建年代等は不詳ながら、谷口稲荷の別当を勤めていました。明治4年廃寺となったものの、明治末期に再興されたといいます。武州足立百不動尊霊場43番です。

真福寺
真福寺の概要
山号 薬王山
院号 -
寺号 真福寺
本尊 不動明王像
住所 戸田市笹目1-12-1
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



真福寺の縁起

真福寺の創建年代等は不詳ながら、谷口稲荷の別当を勤めていました。明治4年廃寺となったものの、明治末期に再興されたといいます。

戸田市教育委員会掲示による真福寺の縁起

真言宗智山派の寺院で、薬王山と号します。本尊は、江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると「薬師ヲ本尊トス」とありますが、現在では木造不動明王立像とされています。本堂には木造阿弥陀如来座像や木造聖観音立像なども安置されています。
開山の年代はわかりませんが、惣右衛門村の鎮守である稲荷社(谷口稲荷、笹目一-八-十三)の別当寺院と伝えられています。
「武蔵国郡村誌」第二巻惣右衛門古跡によると、「真福寺跡 縦三十七間五分 横二十八間五分 面積千六十八坪 村の北方にあり 新義真言宗本郡内谷村一乗院の末派なり 明治四年十月廃寺となる」とあります。現在、さいたま市南区内谷「一乗院」の末寺で、明治時代末期に再興されたと伝えられています。また、境内にある墓地の中には、「惣右衛門」という地名の起こりとなった旧惣右衛門村名主の代々の墓もあります。
毎年、八月二十六日には、本堂において一乗院住職による施餓鬼法要が行われています。(戸田市教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による真福寺の縁起

(惣右衛門村)真福寺
新義真言宗、内谷村一乗院末、薬王山と號す、薬師を本尊とす。
不動堂。惠心の作と云(新編武蔵風土記稿より)

「戸田市の寺社」による真福寺の縁起

(寺伝)村内稲荷社の別当寺であった。明治四年に廃寺となったのち、明治末年に再興し現在にいたる。(「戸田市の寺社」より)


真福寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿