一乗院。さいたま市南区内谷にある真言宗智山派寺院

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一乗院。北足立八十八ヵ所霊場、武州足立百不動尊霊場

一乗院の概要

真言宗智山派寺院の一乗院は、日輪山大光寺と号します。一乗院の創建年代等は不詳ながら、天正年間(1593-1596)までは荒川付近にあったものの、堤防敷設の際に当地へ移転したといいます。北足立八十八ヵ所霊場10番、武州足立百不動尊霊場46番です。

一乗院
一乗院の概要
山号 日輪山
院号 一乗院
寺号 大光寺
住所 さいたま市南区内谷3-7-3
宗派 真言宗智山派
本尊 不動明王像
葬儀・墓地 -
備考 -



一乗院の縁起

一乗院の創建年代等は不詳ながら、天正年間(1593-1596)までは荒川付近にあったものの、堤防敷設の際に当地へ移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による一乗院の縁起

(内谷村)一乗院
新義真言宗、日輪山大光寺と號す、本尊大日を安ぜり、開山高尊寂年詳ならず、此寺天正年中までは荒川の邊りにありしが、堤を築きし時爰に移せしと云、今も堤外に字境内と云處あり。
鐘楼。延享四年鋳造の鐘なり。
観音堂。正観音を安ず、惠心の作と云。
地蔵堂
稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)


一乗院所蔵の文化財

  • 一乗院仁王門(さいたま市指定有形文化財)
  • 紙本着色三千仏図(さいたま市指定天然記念物)
  • 絹本着色両界曼荼羅図(さいたま市指定天然記念物)
  • 密教法具(さいたま市指定天然記念物)

一乗院仁王門

一乗院仁王門は三間一戸の八脚門です。この門の特徴は、妻側から見てM型に二つの小さな棟(屋根の構造)が並び、その上に大屋根の棟がのっている点です。このような門の屋根形式を、三棟造りとよびます。部材に残る墨書から、明和五年(一七六八)の建立年及び大工、木挽の名が判明しています。妻側を中心に賑やかな絵様彫刻を凝らしてあり、江戸時代中期に各地で建てられた装飾性豊かな三棟造り仁王門の典型です。この地域における基準作として貴重な建築といえます。(宗教法人一乗院・さいたま市教育委員会掲示より)

紙本着色三千仏図

過去・現在・未来の各千仏を図示したのが三千仏図です。これは、一年の罪咎を懺悔し消滅しようとする仏名会で使われるものですが、現存するものは少ないようです。一乗院のものは、三幅で構成されるうちの二幅で、両幅とも縦百三十七・〇㎝、横八〇一・〇cmです。中央には青地に金泥を用いて本尊を描き、そのまわりに金泥で描いた千体の諸仏を配列してあります。本尊の像容などから、江戸時代中期の作と思われます。(宗教法人一乗院・さいたま市教育委員会掲示より)

絹本着色両界曼荼羅図

両界曼荼羅図は、真言密教の世界観を体系的に図示したもので、金剛界と胎蔵界の両部からなります。空海が請来した図様に基づく「現図曼荼羅」が最も古く著名ですが、一乗院の曼荼羅図もこの系統に属します。二幅とも縦九十四・五㎝、横六十五・〇cmで、箱書から、天和四年(一六八四)に曲本村の牛山重兵衛尉政親により寄進されたものであることがわかります。尊像の描法、絵の具の使い方などから、室町時代後半ころの作と思われます。(宗教法人一乗院・さいたま市教育委員会掲示より)

密教法具

金剛盤一面・五鈷鈴一口・六器六基(二基は脚台を欠く)・灑水器蓋一枚からなります。いずれも真鍮製で、「栄法」と刻銘があります。金剛盤の裏面に銘文があり、文化七年(一八一〇)、泰穏住職の代に一乗院の什物として栄法が寄付したことや、作者が江戸神田の西村和泉守であることがわかります。制作も優れているうえに、制作年代や作者が明らかな、近世金工品の一つとして貴重なものです。(宗教法人一乗院・さいたま市教育委員会掲示より)

一乗院の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」