丸山稲荷神社。狭山市青柳の神社

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丸山稲荷神社。丸山地区で祀られている社

丸山稲荷神社の概要

丸山稲荷神社は、狭山市青柳にある丸山稲荷神社です。丸山稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、古くより当地に鎮座と伝えられ、江戸期には来光寺が管理していました。社殿内に稲荷社の他、八坂社・第六天社を併せ、青柳の丸山地区で祀られています。

丸山稲荷神社
丸山稲荷神社の概要
社号 丸山稲荷神社
祭神 稲倉魂命
相殿 -
境内社 -
住所 狭山市青柳241
祭日 3月第1日曜日
備考 -



丸山稲荷神社の由緒

丸山稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、古くより当地に鎮座と伝えられ、江戸期には来光寺が管理していました。社殿内に稲荷社の他、八坂社・第六天社を併せ、青柳の丸山地区で祀られています。

新編武蔵風土記稿による丸山稲荷神社の由緒

(青柳村)
稲荷社
村内来光寺の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による丸山稲荷神社の由緒

丸山稲荷神社<狭山市青柳二四一(青柳字丸山)>
鎮座地青柳は市の東部、不老川の支流の久保川沿いに広がる農業地域で、久保川を挟んだ対岸には旧村社の氷川神社がある。
当社の創建にかかわる資料はないが、古くから今の社地に鎮まると伝え、『風土記稿』にも来光寺持ちの稲荷社としてその名が見える。また、『郡村誌』には、「平社々地東西九間南北二十二間面積百六十四坪村の東北にあり、稲倉魂命を祭る、祭日二月初午」と載せており、当時すでに境内の広さは現在とほぼ同じであったと思われる。しかし、社有地は社殿の周りだけで、境内地の大部分は借地であった。戦後、この土地は所有者であった奥富英之助・奥富宇平治の両家から当社に奉納され、正式に社有地となった。
社殿は一間四方の切妻造りで、社殿内に神座を設え、三社を祀る。このうち、中央が稲荷社で、左右に配されているのは八坂社と第六天社(いずれも明治期に合祀されたものか)である。
神仏分離まで別当を務めていた真言宗青柳山来光寺は、その後廃寺となり、一時、小学校として利用されていたが、今は建物は無く、土地は大字の所有となっている。明治以降の祀職は市内梅宮神社社家の梅田家が務めている。
なお、境内には杉を中心に檜や樫が繁茂し、遠方からでもそれとわかり、当地のよい目印になっている。(「埼玉の神社」より)


丸山稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」